陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-02-12

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「正しき心の探求」

どのような人が、どのような立場で投稿されているサイトかわからないけれど
私自身が認識していることを確認したいと思い検索すると出てきた

https://blog.goo.ne.jp/ortheme/e/b6fe5cd603f1bf28dcb6b826e8479109?fm=entry_awc


私の認識は、いつも使っている図になる
これは、意見が対立したときや利害の対立が起きた時に
より正しい方を求めるときのものだ

画像の説明

正しさを求めるは、神仏の心ではある
しかし、考えてみると、そう単純なことでもないことは理解できる

多くの人が
神社やお寺などで手を合わせ祈っているとしても
どのような思いで手を合わせているのか
その心の中は想像できなくはない
どうしてもお願いになり易いだろう
おそらく、正しき心の探求などとは違っているだろう

念仏と言って、常に神仏のことを思って考えることが出来るなら良いだろうが
困ったときの神頼みなどだと神仏からのご利益は期待薄だろう
「正しき心の探求」が好きだと言いつつ、思い出したように言っているようだと同じことだ

人の心は、複雑なようで単純なのかもしれない
そうであるなら、昔のような単純な道徳教育でも良いのかもしれない
「常にお天道様に見られているよ」
「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるよ」
「悪いことをしていると地獄に落とされるよ」
昔、周囲からよく言われていたように記憶している
お寺で地獄絵図を見せてもらったこともあった
(スピリチュアルなことを学んだり、霊的体験を繰り返していると、その言葉通りだと今では感じている)

これらは、マイナスのこと、悪しき方向に向かうことにブレーキは掛けれるけれど
ただ、プラスの流れを創り出すことには弱いだろう

色んな事にプラススパイラルを起こすためには、やはり、「与える愛」の学びだ
経済のことを考えると、その繁栄発展のためにはこれが不可欠だということが判る
次の図の「思い」(なぜ)の中に入るべきもの
心の中に在るべき設計図、動機、遺伝子の中に不可欠なのが「愛」
創造するべきは「与える愛」を含んだもの
愛が、素晴らしい商品や素晴らしいサービスを生み出し
その価値が循環して消費され代金を生みだし収入になり投資や多くの人々の所得になり生活を潤し更に善の循環を起こす

どうやら、この世は、その愛、与える愛の学びのために創造されているようだ
この宇宙は、全て、愛によって出来ているとも言われる

この経済における愛の法則を学ぶと、確かに納得してしまうのだ

社会



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