陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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大切なことを忘れている

「大切なことは、目に見えない」ということが言われる
まさに的を得ている言葉だろう

しかし、何が目に見えないのか
探求した言葉に出会ったことが無い
人の心だろうか
もちろんそれもある


大切なことを見ることが出来ず、無視しているとするなら
何事も旨く行くわけが無い

目に見えないモノ、目に見えにくいモノとは何であるか
常に注意を払わなければ、求めている成果を得ることは出来ない
大切なことを見過ごしていては無理だろう

ここで今一度、見えにくいものを整理してみる

時間における  原因と結果
空間における  他者と自己
人間における  情と理

基本は、陰と陽の関係が有るが
交互に目に見えにくい裏側に移動する

次の図の思いと行いの中で、まさに、「思い」の所が目に見えにくい
更に目に見えにくいのが、私たちが生きている環境、世界
要するに世界観
見えない世界といっても良いが
その見えない世界を、見えないままに放置するのか
それとも、その見えない世界を信じることが出来るのか
信じて、その後の思いと行いに反映できるのかどうか

短期的には、それほどの違いは無いように思われる
逆に、そんなめんどくさいことを考えるより「行い」を中心に見て
目の前の結果を手に入れる方がよいだろうとも思える

大切なことは、これ以外にもいっぱいあるだろうと思えるが
やはり、一番に目に見えない代表は、私たちの主なる神である創造主だろう
もちろん、神仏なる存在は目に見えないけれど
悪霊や悪魔も目に見えない

目に見えないものを見たいと思うならば、どうすればよいのか
やはり、信じるしかないけれど
本当に大切なものを見るためには、左脳的な右目だけでなく
右脳的な左目、両方を使うことだろう

このフラクタルの森で言っている「両目で見る」ということが端的に言えることではないだろうか

原因と結果、他者と自己、情と理、思いと行い、調和と進歩、陰と陽・・・・・
様々有るけれど、結局は、創造主は、私たちに両目をしっかりと開けて、両足をしっかりと使い生きていけと言われているように思える

論理的考察



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