陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2023-01-06

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何事にも良い子、悪い子、普通の子がある

税金にも良い税金と、悪い税金が有る。
その使い方でも、良い財政出動と、悪い財政出動とが有る。
両方で、悪いほうを選ぶなら、そのマイナススパイラルはとても悲惨である。
逆に良い税金、良い財政出動ならば、その逆で、なんでこうなるのというくらいの効果が出る。

だが、この善悪の判断が難しい。
以前、描いたこともあるが、ラッファーカーブと同じ図がフラクタルの森には有る。
それは、適切な税率を決めるためにラッファー博士が説明のためにナプキンに描いた図と似ている。
スミソニアン博物館に収蔵されているという。


私が描いたのは、何が善悪を決めるのか考えたときに、良いと思われることでも、少ないと問題であるが、適切なレベルを超えてしまうと悪になるということが、すべてに有るのではないだろうかと考えてのものだ。

この十字架の中心をどこに合わせて考えればよいのか?
前後どのくらいの許容範囲が許され、上下に揺れる範囲はどうなのかということを、人々は、無意識のうちに繰り返して考えている。
この善悪を、もっと明確に意識しながら判断しなければ、雰囲気に流され間違った判断に誘導されてしまう。
これは、幸福の科学での入会資格として挙げられている「正しき心の探求」をする姿勢と同じことだと思う。ここでの正しさの基準は、神の正しさではある。

画像の説明

財政出動の中でもバラマキにも全部が悪いわけではない。
政府の良いバラマキは、社会に対する「投資」と言い換えるべきものだ。
産業育成のための投資も有れば、教育のための投資も有るだろう。
今度の子供手当の投資が、果たして効果が有るのか、単純に一律に配ることが良いのか、それとも、所得制限を決めるべきなのかどうか?そもそも、現金給付が本当に生かされるのかどうか、問題は多い。
そんなご機嫌取りに近いものよりも、景気を良くして国民一人一人が、その責任の中で子供にどれだけ、どのタイミングでどのようにすれは一番効果が有るのか、それぞれに判断させるほうが良いのではないか。
国民のレベルが官僚や政治家たちよりも劣り、政府に決めてもらうほうがベストならそのほうが良いだろうが、とてもそうとは思えない。
ゆえに、今度の子供支援策も悪い意味も含んでいるバラマキだ。投資にはならないだろう。
貰う方は嬉しいけれど、悪い投資に当たるだろう。

そして、その為にはお金がかかり、財政出動という支出が伴う。
そこで、更に問題をややこしくしているのが、MMT論者たちだ。
国債発行で賄えばよいという。「政府の支出は国民の収入になる」からだという。確かに、表面だけ見れば、そうだ。ただ、その表面(陽)を支えている裏面(陰)を見る必要が有る。

政府の支出と国民の収入をつなぐのは、お金だ。
そのお金の価値を維持しているのは、信用だ。
この信用については、MMTの代表のような三橋貴明氏と議論したことが有る。彼は、そのようなあいまいな言葉を使いたくないという。信用創造とか言っているのに、お金の価値を支えている重要な部分を無視して彼なりの論理を打ち立てている。

借金にも良い借金と悪い借金とが有るように、国債で資金調達するにしても悪い国債と良い国債とが有る。この善悪の判断、要するに、あいまいな信用の中に含まれている善悪の峻別が出来ないでいる。
銀行で国民が借金をすることで、信用創造からお金が生まれているのだからと言って「貨幣論」を彼なりの正しさで打ち立てているのだが、私は、彼のように左脳的なところは良くないのだが、スピリチュアルな面は勝っていると思う。彼は死後の世界も創造主も信じていないだろう。
自分の優秀さに浸り、自分の正しさを優先するあまり、片目状態になっている。
財政出動を支持する藤井聡氏とか中野剛志氏も同類のようだ。
藤井聡氏の本は、ネットで宣伝していたものを買って読んでみたが、間違いなく同類だ。要するに左脳的に優秀過ぎて、右脳的な修行が不足している。右目ばかりを開けて的を見ており、左目を同時に開けていないために的を外す。信仰心が無く、おそらく、自分が神様になっているのかもしれない。言い換えるなら、自己中心で結果至上主義といっても良いだろう。

もちろん、誰でも自己中心で結果を重視する。
しかし、悪い自己中も、悪い結果主義も有る。
その理由は、政治経済の中に主体となっている政府が大きな存在となり過ぎて弊害が生じていることと同じである。天に在る神なる存在からの光が差しにくくなっているのだ。

基本 ピラミッド

彼らは、三橋氏も依然言っていたが、ケインズ経済学を支持しているようで、アダム・スミスの「神の見えざる手」を低く見ているようだ
この神なる存在を意識できるか出来ないかで、どうやら世界が二分されている。
アメリカのトランプ対DS(ディープステート)、プーチン対バイデン、ゼレンスキー、世界を二分している構造は、次の図の左と右に分かれる。
その程度によって勢力図が分かれるようだ。

画像の説明

神

今、日本でも世界でも、この2分されている世界が、せめぎ合っている。
この2分された世界は、悪い宗教と、良い宗教に分かれているともいえる。
悪い宗教は、無宗教が最悪であり、その他の宗教は、あいまいであり分別は難しいけれど、神の眼の正しさを当ててみれば見えてくる。自分の眼の正しさにこだわりすぎる人たちは難しいだろう。
町内にいる家族で統一教会の信者の方と話していても、難しい。
50年もやっているので確固として揺るがないといわれる。
同じく、無宗教信者の人も程度に差が有れ同じようだ。
同じように、無宗教を信じ込んでいる人があまりに多いのだが、無宗教、無神論、反対に邪教を信じ込んでいる人も、説得は、あまりにも困難だ。
どちらも、その無宗教と邪教で得ることが出来た安心安寧という結果にしがみつき、真理を求める勇気を忘れ、自分の判断にしがみつき、悪い自己中、悪い結果主義に支配されている。



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