陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-12-13

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世の中がおかしくなる原因

政府の増税圧力は、財政規律を考えてのことだろう。
その反対に、MMT理論でもって財政出動を訴える勢力もある。
そのような躁うつ病のように蛇行している面が、現代社会には見受けられる。

それぞれに、良かれと思って言っていることだろうけれど、
的を外すと、双方ともに社会を傷つけることになる。
その原因は何だろうかと考えると、フラクタルの森の図で考えると
目に見えるように説明ができる。


これは、グローバリストとかネオコンとか、ディープステイトとかに現れて、世界に不幸をまき散らすような勢力がのさばってきていることと同じ現象だ。

要は、簡単に言うならば、「信仰心の問題」である。

画像の説明

社会

人は、様々なことで何らかの結果を得ようとして生きている。
「どのようにしたい」のか、この結果(成果)は、誰にとっても確かに重要な問題だろう。
そして、この結果に至る過程は図にあるように積み木のように下から順番に積みあがってくる。この底面がしっかりしていなければ、この積み木は簡単に崩れる。
昔、積み木崩しという言葉が昔はやったけれど、同じだ。
適当なもの、いい加減なもので下を支えられていると簡単に崩れる。

表面上の結果ばかり、評価とか結果とか利益にこだわる気持ちが強すぎると、それ以外に関心が無くなり、その途中のものまでもがおろそかになる。

また、逆の面から言えば、底面を支える世界観が、唯物論、無神論だと客観的に物事を考えられなくなり、自分を主体にしか考えられなくなることで、自分が得ることのできる評価や利得にしか関心がいかなくなるからだ。
自分の正しさが正しさであり、自分の思い込みが真実である。
当然、自分の利得が優先され、他人のそれは、自分の利得のために存在するかのように考えてしまう。
他者を考え、公共のことを考えるにしても、結局は、自分自身の価値観、自分の都合を優先してしまう。
当然ながら、それに対する「思い」は希薄になり、結果ばかりを強くイメージしてしまうことになる。
思いの中に結果を生み出す原因を入れることなく、思いの中に結果だけを入れてしまう。
これが結果主義、結果至上主義であり、世界を混乱に陥れている原因である。陰陽そろうことなく、裏打ちが整うことなく、目に見える表面を取り繕うことになる。

陰陽そろうことなく得た成果は、簡単に崩れ去るだろう。

要するに、神仏、創造主の価値判断から外れてしまった正しさは、この神の生み出された世界で存続することは出来ないと思うからだ。

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