陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-10-27

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戦争の原因も両目で観ることで見えてくる

人は、考える
頭と心で観て感じ考える

心と頭の関係も陰と陽
右脳と左脳も陰と陽
陰(右脳的なもの)は、調和を司り
陽(左脳的なもの)は、進歩を司る
タテ軸とヨコ軸でもあり、器の大きさとも関連する
器のサイズがいびつになると不都合なことが起きる


右脳的なものばかり幅を利かせるなら、原始時代に戻り
左脳的なものばかり幅をきかせると、争いが絶えなくなる
両方のバランスとタイミングで器は、世界は素晴らしくも大きくもなる

人の行動原理は、次の図で見れば理解しやすいだろう

画像の説明

人は、左脳的な損得で反応し、右脳的な好き嫌いという感覚で反応する
要するに、戦争が起きる原因は、利害の対立である

親兄弟でも利害が対立すると争いが起きる
たとえ思想信条、宗教が違っても、利害が対立しない限り紛争は起こりようがない。
ただ、利害の対立が一旦起こるなら感情のしこりがエスカレートさせることになる。
宗教が有り、その違いから戦争が起こるように思われているが何の事は無い
利害の対立が背景にあるからだ。
左脳的対立が起こり、次に、右脳的対立が拍車をかける。

今という時代は、左脳的な欲望を増長させると同時に
右脳的な思想宗教の対立が拍車をかけている

ただ、皆さんが勘違いしていることがある

今、思想宗教の中で一番勢力を拡げているのは何かというと
宗教には様々な宗派が有るけれど、最大の宗教は「無宗教」という宗教だ。
宗教には、4種類ある。
無宗教・一神教・多神教、そして万教帰一の宗教、至高神を崇める宗教がある
世界で一番戦争をしているのが一神教のイスラム教のように思われているが、
近現代で一番、人の命を奪ってきた宗教は、無宗教の国家であり、無宗教の集団である。
旧ソ連であり、北朝鮮であり、共産主義のポルポト政権であり、中国共産党である。
それら、無宗教の人たちにとっては、主たる神は自分であり、自分たちである。
利害の対立、主義主張の違いが起きた時に、正しさは自分たちである以上そのようになってしまうのだろう。

今、無宗教が跋扈して右脳的偏りが有り
左脳的な欲の暴走がある為に紛争や戦争が起こりやすくなっている。

欲を強くしただけでは、全体的な進歩は期待できない。
無宗教が広がれば、客観視など出来るわけも無い。
欲を加速させることにしかならない。

無宗教は、神を否定するから仕方が無いのだろう。
キリスト教も仏教も形骸化してしまい、イスラム教も自分たちに都合の良いように解釈を加え、神仏を本当には信じていない人たちが増えている。

特定の神仏が信じられないのなら
全人類の親なる意識で考えているような存在をイメージすれば良いと思う。
統一教会の教祖が現代に生まれたメシアだと言いくるめているが、彼の言説のどこに全人類の親としての存在を感じさせてくれるのか、どこにもそんな影すら感じられない。

メシアとは、ある意味至高神であり、最高最善最良なる神仏である。

ただ素直に考えただけでも全人類の親としての立場で語られ、実際に心の教えを説き、実際に行動されている存在が居るならば、それがメシアである。
メシアを見つけることは簡単だと思う。

凡人であっても、全人類の立場に立って、紛争の当事者の双方に立って、善悪を考えるなら、見えてくる。
紛争の両者を共に我が子や孫と見て、自分の利害を離れ、白紙の上に載せて考えるなら見えてくる。
神の如き感覚で見ようとするなら、正邪は自ずと明らかになって来る。
白紙の上で、両目で見て考える事で立体的に観ることが出来る。
そうでなければ判断を間違えてしまう。

今、世界の優秀な人たちが左脳でしか考えられず、右目でしか見れなくなってしまっている。
両目で観て、考えるべきなのだ。
上白紙の

画像の説明

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