陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-10-10

Top / FrontPage / 2022-10-10

人にも上流が有る

人は、生きていると温かい
生命を閉じると冷たくなる
何故なんだろうか

人にも、何事にも上流が有る
人も窯も活動していると熱を持つ
窯の熱は、薪を入れることで始まる
人の熱の元は、食料を口から入れること


そして、それぞれに、口から空気を取り入れて
口から入れたものを燃やして出して循環させている

人の熱は、それほど上げる必要はないけれど
窯の熱には大量の薪と空気が必要だ
人も窯も、共に空気が無ければ、その意味が消える

燃やしている物が有るということが命の源流なのだろう
窯に入れられた薪は、分解されオキとなり、ミニ太陽の如く輝く
人の口から入った物は、分解され、心臓の働きで血液と共に各細胞に配られていく
そして、見える光ではないけれど、それぞれの細胞の中で燃えているのだろう

窯の熱も小さなオキの光が無くなれば冷めるように
人の熱も小さな細胞たちの活動が停止することで終わって来る
ただ、この熱源の基に在る上流は何処に有るのだろうか

考えるなら、心の情熱だろう
やろうとする意志の強い力
生きようとする、生き続けようとする意志の力
この力がある限り、窯は窯として
人は人として、その存在意義を明らかにしていく

また、さらに、その上流を見るならば
その元になっている力は何処から来るのか
解明しつくすことは出来なくても
間違いなく、その上流が有る
その上流から流れ来るものを考える事こそ
正しき心の探求なのかもしれない

見えている姿は様々に違うけれど、まさに、フラクタル
その源流探しの旅こそ大切なのだと思う

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼