陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-28

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幸福実現党の限界と打開策

幸福実現党という政党が、幸福の科学という宗教団体の力で造られた。

間違いなく神の心を心として、国の行く末を案じ提言を繰り返している。
私の義理の息子を含め50人近い地方議員を出して活動しているが、いまだ国会に議員を出すことが出来ていない。


なぜ、まともな政策を述べている政党が政権に入ることが出来ずに、
マスコミなどから無視され続けているのか、考えると見えてくるものが有る。

今、世界中の常識が、エセ科学信仰に陥り、霊的世界観を無視している現状がある。
私は、出会う人に次のような図を示して、左右どのあたりの認識であるのか聞くことを常としている。
その結果、ほとんど、大多数の人が左側を示す。

死後の世界

図の中でも書かれているように、左側の無神論、唯物論に引っ張られている人の立場で考えるなら、宗教政党など胡散臭い団体だ。

何かに頼ったり、すがったりしなければ生きられないような、妄信、狂信の人達などに政治を託すことなど出来ない。
伝統的な宗教の中、ぼんやりと宗教観で生きている人とっては、狂信的に活動している人達は奇異に見えるだろう。
ただ、私も若いころ創価学会の集会に誘われた経験があるが、その御利益信仰的な活動の中には、確かに魅力的なものは有った。助け合いの精神や、仏にすがり安心安寧を図ろうとする心、それらに異議をさしはさむことは難しい。

私もそのころは無神論、無宗教というよりは、そこまでも考える材料も無く、ただ、日々を生きているような時期だった。
しかし、なんだか胡散臭く感じ、オゾマシイものを感じたために深入りすることは無かった。

人生を重ね、本を読み重ね、小さな霊的体験をするにつれて、目に見えない世界に有るフォースを感じざるを得なくなっていた。
しかし、過程として、幸福の科学にご縁が無かったとしたら、今という時期に、間違いなく、幸福実現党という宗教政党を理解し支持することは出来なかっただろう。
確かに、まともなことを言っていると思っても、支持することは不可能だと思っただろう。
その理由は、創価学会、公明党で感じた胡散臭さと、オウムはじめ、おぞましさを感じさせる宗教が跋扈していた経験から、宗教に対するマイナスイメージが有ったせいだ。

幸福の科学に出会わなかったとしても、出会う以前には、無神論、唯物論ではなくなっていた。死後の世界も、神仏も、創造主も、おられるだろうという考えにはなっていた。
しかし、おそらく、幸福の科学から出される「霊言の書」や教学に触れることが無ければ。やはり、宗教に対する警戒感は有ったろうと思う。

それが、今、何故、狂信的に幸福の科学の活動に力を入れるのかを考えると、友人の存在が有った。
大川隆法総裁と比較出来るわけも無いが、彼も霊言が出来ていた。

彼は、私に先立ち会員になって活動していたが、出会った当初、半年くらい彼と降霊会みたいなことを盛んにやっていた。
様々な霊人たちが入れ替わり立ち代わり、彼の中に入って語り掛けてくる。
おそらくそのような経験が、霊的世界を実感させてくれたのだろう。

ただ、何故それも半年で止めにした。
それは、惑わしの霊が入ってき始めたからだ。
悪霊、悪魔と言っても良いのだろうが、彼を幸福の科学から引き離そうとする意識が入ってき始めた。
ただ、それは、失敗に終わった。
それは、なぜかというと、その友人たちと基礎的な勉強会を出会うたびに同時にやっていたからだ。主の言葉を根掘り葉掘り学ぼうとしていたおかげだっただろう。

彼も言っていたが(彼は若くしてこの世を去った)霊言に頼ったりしなくても、個人的なレベルでは、普段の会話の中に霊的な存在たちの言葉が混じっている。
私は霊道も開けていないけれど、ある意味、皆、霊言能力は持っている。
もちろん、悪霊の言葉も混じることがあるが、正しき心の探求する姿勢さえあれば、その言葉を口に出して周りを不幸に引っ張り込むことは避けられる。

この彼との霊言、降霊会のようなものが、私に霊的世界が有り、死後の世界も、神仏の世界も存在することを体験を通じて教えてくれた。信じるに足ると暗示にかけてくれたのだ。

この一線を超えた認識はとても大切だったと思う。

死んだら、おそらく終わりだと思っている人は、間違いなく半数を超えている。
おそらく、その人達が幽霊として、あの世にも行けずこの世で残された者たちにさわりを起こしたり、さらに無信仰者を育てても居るのだろう。
あの世も、神仏も無い世界が広がっているのが現状だろう。(ミハエル・エンデの小説のようだ。無が広がっている)

その常識の中でまともな宗教政党が政権に関わっていくことは、無理だ。
まず、この世が霊的な世界であり、神仏なる存在が居られ、今という時代に危機を感じ、訴えかけようとしていることを理解しない限り難しい。

宗教というだけで胡散臭さを感じる人が多すぎるのだ。
であるなら、主の霊言に触れていただくしかない。

そして、神々が地上の人々に訴えかけようとしていることの理解がすすむ必要がある。
そうでなければ、天罰としての天災、異常気象、疫病、様々な天変地異がこの地上を覆い、人々が、あまりの異常さに追い詰められ神を求める心境にならない限りムリだろう。

無神論、唯物論の人でも、自らに害が迫ると神に祈ったりする。
我が姉の共産党員もそうだ。長男が単純なバイク事故で命を落とした後、お遍路巡りをしたそうだ。神を認めなくても、神の子である以上、心の奥では知っている部分が有る。

死んだら終わりだと、暗示にかけられているだけであり
逆暗示をかけて、心の奥にある神仏に対する畏敬の念を思い起こしてもらう必要がある。
その為に、主の降ろされる霊言は貴重だ。

過去の霊言のアーカイブは、公開霊言として映像としても残されている。
主が直接語られる教えは、見方によればとても難しいけれど
様々な霊人たち、過去の偉人だけでなく、人生を誤って地獄に行った者達、悪霊、悪魔となって地上を混乱に陥れているような霊、まだ生きてこの世で活動している芸能人や政治家たちの守護霊の霊言を含めて、学びの材料は無限にある。

この「霊言アーカイブ」を幸福の科学は、積極的に活用するべきだと思う。
これが成されない限り、幸福実現党を通して流れ出そうとしている政策で
世界を救っていくことは不可能だ。

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