陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-24

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善悪の根源

善悪を決めるものは何か?
その要素は様々有るだろう。
その判断で政治も選ばれ、そして、未来を決めていく。


画像の説明

この図のように、神からの視点がある場合は、神仏の正しさからはみ出している部分
自他の正しさが対立していても、ここからはみ出さない限り許容される正しさだろう。
しかし、自と他の立場で対立する正しさが、神の目から見てどうかという判断は難しい。

常に「正しき心の探求」をする姿勢が無ければ、無理だ。
この正しさとは、神のお心から見ての正しさ。
そのためには、信仰心が不可欠だ。

ここで、本物の信仰かどうかが試される。
ただ、試される以前の人達が多数居る。

左翼思想、共産主義思想の人達は、どんなに神仏の前で、仏壇の前で手を合わせていたとしても、その心の中には、神仏はいないだろう。
有るのは、結果を求めるだけの思い。

選挙などでもそうだろうと思うが、国民の前で祈るように訴えていても
その心に有るのは、結果。
もちろん、国民にとって良かれと思う気持ちは有るだろう。
しかし、共産主義のように為政者や富裕層に嫉妬心を燃やしている場合もある。
嫉妬心が有ると正しき心の探求など出来るわけも無い。
論理的考察

このような人達の特徴は、何かというと、表面に浮かんでくる結果ばかりを見ている。
「どうやって」「どうしたい」のハウツーの所、結果の所ばかりをクローズアップする。
そこで格差が有ると、嫉妬心を燃やす。
そして、格差を縮めようと、結果平等の方向に動く。
要するに、結果主義に走りがちだという事。

結果主義に陥る原因は、「なぜ」の所が希薄になるからだ。
結果ばかりを見て、どうしてだろうとは思うのだろうが、視点を変えてみようとしないせいだろう。
自分の感じた事、自分の考えに、あまりにも自信を持っているために
憤りとか、使命感ばかりを募らせて自分の意見を押し通そうとする。

この「なぜ」に含まれている課題は、とても重い。
何度も繰り返し、何故、何故と問いかけない限り見出しにくいのだ。

そうなってしまう原因は、唯物論、無神論に有る。
自らを超えた存在、神仏の存在を肯定できない為に検証しようとする意識が薄くなる。
こんな人が、現代社会で世界中で増えたために、表面的なものに振り回される。
そこには、悪霊や悪魔の暗躍する世界が有るのだろう。

世界のメディアや政治を見ても、神の視点から見て、3点で物事を考えようという意識はないようだ。ウクライナ問題でも典型的だが、この3点でウクライナ紛争を見れば、大手メディアがあおっているようなロシアが悪者で、ウクライナが民主主義の旗手であるかのような報道は、悪魔の影響を受けていることが判る。

ウクライナの正しさばかり、結果に対する同情心から、ロシアの正しさを見ることなければ、世界大戦や核戦争に引きずり込まれていく。ここに神から見た正しさを照射して、歴史的背景や指導者たちの心の内を推察できるなら、今の現状は悪魔に指導された状況だろう。

悪魔の影響を受けているバイデンは、経済制裁でロシアを追い詰めようとしたが、経済を強引に潰そうとすれば、経済社会は世界と連携している以上、全体を追い詰めることになる。
バイデンは、自らに都合の良いようにだけ考えての結果主義であろう。
その「思い」に神なる視点が無い為に、世界中を地獄への道に導いている。

今、選挙戦中だが、現与党も野党も、その主張を聞いているとバイデンと同じレベルのようだ。神なる存在を意識することなく、まつりごとを執り行おうとする輩を、支持することなかれ。



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