陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-16

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神(創造主・地球神)の価値判断

この神からの視点があるかどうかは、あらゆることを考え行動に移すときに不可欠だ


唯物論、無神論の多くの人にとっての主なる神は、お金であったり、自分自身であったりする。
または、困った時の神頼みであったり、自分にとって都合の良い存在ばかりを神とする。
要するに、自己を中心として考え、結果を出してくれなければ信仰の対象としない。

今、どんなに理想を掲げ、困難なことに取り組もうとしていても、結果を得た時に慢心し堕落していく道は、あらゆる人に用意されている。
政治家ももちろんそうだ。

自らの上に、どのような崇高な存在を見ることが出来て、その意識からの価値判断が常にできるかどうかで違いが生れて来る。
私たちが生きている世界が、どのようなものであるのかという認識が、未来を造っていくのだ。

世界をどのように見ているのかということは、とてもとても大きな問題だと知るべきだろう。特に、国家の未来を造っていく政治家にとっては不可欠の教養だと知るべきだ。

政治家としての資質で外してはならないことがある。
それは、政治が、政(まつりごと)というのが、神に代わって国・民を治め豊かに幸福にしていく使命があるからだ。

幸福実現党は、宗教政党でありながら、正直言ってこの部分のアピールが不足している。
この一番重要な所を説得できなければ、多数決の選挙戦で勝てないだろう。

確かに、公明党のような宗教ともいえないものを信仰し利権にすり寄る結果主義の政党も有る。宗教の評判が落ちている時に、あまりそれを表現しにくい面はあるだろう。
しかし、いつも使っている表で見るように、この世界観(宗教観)の違いが、あらゆることに影を落とす。
政治家として、重要な資質である。
この資質を、前面に出すことをせずに、政治に関わる者を選ぶなど
とんでも無い事だと知る必要がある。

前提となる「世界」が違えば、その上に乗っかって来るものが違ってこざるを得ないからだ。

論理的考察

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