陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-13

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客観的視点

画像の説明


 いろんなことで、意見の食い違いが生れる
そこで、自分の立場を離れ、善意の第三者から客観的に見ることが大切です。
ただ、多くの場合、その客観的視点の中に自分が居て自分の正しさから離れることは難しい。
そこで、努力として、白紙の上に他者の見る正しさを並べてみる必要がある。
自己と他者の正しさを並列に並べ偏見をもたずに考える必要がある。

この時、問題なのは左脳的にだけ優秀な人達の偏見である。
自分自身の考えに自信を持っている人達は、どうしても、自分の正しさに引っ張られてしまう。
その原因は、この図であるように、自分の認識を越えた霊的存在を想定しにくい為に起きることのようだ。要するに、信仰心の欠如がある。
霊的世界観の欠如があり、死後の世界を信じることが出来ず、神なる存在を想定することが出来ない為に起きることのようだ。

これは、左翼的リベラル傾向を持つ人も、右翼的保守的傾向を持つ人も同じである。結局、同質な面を持っていて、そううつ病のように蛇行している現象でもあるだろう。この、神なる視点を持っていない人たちが社会を蛇行させる。

自分自身の優秀さが、もしくは、そのように思い込みたい意識が、間違った宗教感と相まって独り歩きしてしまうのだろう。
左脳的優秀さが、右脳的価値観を抑え込んでしまう。

右脳的価値観とは何かというと、真理に対する認識であり、悟りそのものである。「いつどこでだれがなにをなぜ」と言うように英語でWで始まる認識である。この認識の底が浅ければ、簡単に蛇行してしまうのだ。
この認識は目に見えにくく、証明も出来ないものが多く測りがたい。
宗教が人生不可欠の教養であることを理解する必要がある。
宗教を困ったときの神頼みレベルにしていて良いわけは無いのだ。

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