陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-06-09

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白紙の上に並べて真実を探す

上白紙の


原則、誰であれ自己を中心として考える。
善意の第三者を持ってきて公正に考えようとしても限界がある。
善意の第三者の究極には、神なる視点が有るが、それが難しく曖昧なものである以上、自己と他の中でも見極めていく努力が必要であり、その掘り下げて考えた先に真理も見えてくるだろう。

人々の判断は、複雑に絡み合い、それぞれの評価が生れ、それぞれの価値観が対立し、迷い、紛争が生まれ、戦争まで至る。

色んな対立の中で、皆で議論し解決しようと努力するも、その努力が無に帰することも多い。なぜなら、対立する考え方で勝利しようとするなら、独裁的に自己中心で決断し強権を発揮する方が、簡単に相手を支配できるからだ。
弱肉強食の世界観で判断し行動する方が、目先の結果を得やすいからだ。

しかし、全てに神の眼は注がれ、神の見えざる手が働いている。
因果の法則は、全ての宇宙を支配し、それを眩ますことは出来ない。
面倒で、曖昧で、難しくても真理に沿った判断を模索するしかない。

その為に大切なのが、神をどうイメージすることが出来るかということだ。どうしても、人は、神を自分に都合の良いように見てしまう。
困ったときの神頼みぐらいにしか思っていない。

神とは、創造主であり、全生命、全人類の親でも有るだろう。

神なる存在を全人類の親であるとして、対立の当事者を我が子や孫として、それぞれの考えの正しさを見ていくなら、解決の糸口も見えてくるだろう。

結局のところ、様々に意見は分かれるが
運を良くし、免疫力を上げるために必要なのが、現状認識です
自分自身が、今、どのような場所に居て、どのような力を持っているのかという事

今、生きて、生活している所が、一体どういったところなのか
都会か田舎か、家の中か外か、公共の場所かどうか
目に見える環境については、違った意見で激しく対立することは無いだろうが
目に見えない世界についての認識には、大きな隔たりがある
そして、自分自身をどのように認識しているのかも、様々有ります

この私たちを取り巻いている環境の事を論ずると無限にありますが
深く深く掘り下げていくと、究極の問題として有るのは
時間・空間・人間の問題です

この前提条件を間違えて認識しているなら
現実の世界に大きく影響をして、求めている成果が出て来なくなったり
対応を間違えて免疫力がズタズタになったり、理想的な社会、幸福な世界を夢見ていても
それとは真逆な世界を招くことになるでしょう

全ての奥にある環境認識を間違えるわけにはいきません
例え、今が良かったとしても、その先に何が待ち構えているかわかりません
次のどちらを選択するか、それは、バクチにも似ています

さて、あなたは、左と右、どちらを選びますか
この選択は、あらゆる事象の見方に影響を与え
世界の対立の根源の所に存在します

要するに、自己を越え、世界を見ている
崇高な存在からの視点を想定できる人と出来ない人に分かれている
客観的な見方ができるかどうかにかかっています。

死後の世界

創造主の存在

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