陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-04-14

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MMT理論と価値判断(信用)の行方

お金を見る時二つの面で見る必要がある
その数字が表している価値と
数字には表れにくい信用とがある


多くの価値が数字で表現されている
一番前面に出ているのが、それらの基準となっている通貨(お金)
そして、株価、国債、金や銀、プラチナなどの商品価格、原油価格など、
先物などで動く価格もある

このような市場価格の動向に詳しくはないが
それらの価格に影響を与える人々の思惑を見ると面白い面が見えてくる

信用という側面で見ると
その価値を今どこに預けるのがベストなのかという判断が加わる
そこでの思惑は、投資と避難という両面があるだろう

人々が何に信用を置いているのかという事
今、金とかの貴金属や資源価格も食料関連も上がっているという
これは、お金(通貨) の信用が下がっているということでもあるだろう
その理由は、世界的な金融緩和で通貨の信用が下がっていることが大きいだろうが、それ以外にも原因はいっぱいある

今、世界の基軸通貨はドルであり
ドルが無ければ国際決済ができない為にドルの信用は高い
その高い信用を有しているドルを印刷できるのはアメリカだけだ
その優位性がどれだけのものか想像できないけれど
今、ロシアへの経済制裁でドルへの信用もあやふやになっているようだ

基軸通貨を持っているのに、今、アメリカでは財政赤字に苦しんでいるという
その理由は、財政支出(出)と税収(入)のバランスが悪いのは明らかだ
ドルを自らの判断で印刷できるとは言え
それで税収(入)が賄われ、それが際限なく行われると
さすがに信用が無くなって、いろんな不都合なことが起きるのだろう

その為に、国債を発行して
金利を負担して、借金するという形になっている
借金という形で、多くの人々からの信用を確保しようとしている

多くの人から寄せられる様々な信用(思い込み)があるから
その価値は維持されているが、政府が勝手にドル紙幣を印刷して
政府自体が好きなように使っていくなら、当然ながら、ドルの信用はあっという間に消えていくだろう

政府が勝手に自分のわがままな判断でドル紙幣を増やし、自分たちの都合の良いように使っていくなら、一体だれがそれを信用するかということだ

基軸通貨の地位だけでなく、100ドル紙幣を1万ドル紙幣に代えたとしても、その信用を維持することは不可能だ

MMT理論で財政出動をするべきだという意見もあるが
彼らは、この信用という観点が薄すぎるようだ
この信用には、当然ながら善悪という価値判断が伴うことになる
この善悪の判断が出来なければ、その価値を知ることは無い
その価値判断が狂っていれば、そのお金は価値を失っていく

この積極財政を言う人達の反対側には
緊縮財政を訴える人々がいる

それぞれに、良いものと悪いものが有るということ
お金の使い方にも絞り方にも善悪が有り   (支出)
お金の生み出し方にも善悪が有る         (収入)
すぐには人々の判定は定まらないかもしれないが
この善悪の判断が狂っているとその信用が無くならざるを得なくなる

人は、神仏の子であり、本来、根っこには神仏と同じ価値観がある
アダム・スミスの「神の見えざる手」という経済の考え方が有るけれど
まさに、価値を支える信用の根源はそこに有る

その信用を神とは反対のモノ、
欲にまみれて他者を顧みないような人達にその信用をゆだねるなら
それは、この世の価値を悪魔の手で自由にされるようなものだろう

そうすれば、神の見えざる手が機能しないならば
神の見える手が働くことになりかねない

天変地異などだ

その価値判断は、単なるお金だけの問題ではない
世界に起きている事件などに対する価値判断にも表れている
人々の評価の分かれ方が、神の見えざる手に導かれるような世論が醸成されているのかどうかという事

ウクライナ問題、コロナ問題、温暖化問題、選挙問題、・・・・
あらゆることの価値判断が、もし狂っていたなら
その価値判断が神の見えざる手から取り上げられているとするなら
世界は、奈落の底に落ちることになる

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