FrontPage/2022-03-29
人間の特性 2
人間を考えるに、分かり易くとらえるとすれば、陰陽で見る方法だろう。
思い(陰)と行い(陽)であり、
行い(陽)は、ある意味、動物的な部分に当たるだろう
思い(陰)は、ある意味、人間的な部分に当たる
と言っても、同時に存在しているモノなので、
動物たちにも有る事なので、少し違うかもしれないが、パスカルの指摘した次の言葉とも関連するだろう。
「人間は、考える葦である」という言葉だ。
人間は、自然界では弱い存在なのに、考えるという特性を強く持っていることで神の代理人として大きな影響力を得ている。
生き物は、元々、埋め込まれているソフトが背景にあり、本能で反応し行動している部分が多い。行いは、思いに反応して起動しているだけではあるが、人間の場合は、その本能にプラスアルファ―を加えることが出来るのがとくちょうだろう。
動物的本能があり、人間という生き物として生きてはいるが
より、神近き存在へと上昇できる力を備えていると言えるだろう。
思いを自らで加工できる範囲が広いという事。
それこそが、人間の条件ではないだろうか。
ただ、動物たちより優れた能力を与えられた故に
本能部分が、過ぎたり足らざる現象を起こし蛇行し、様々な精神疾患も起きてくるようだ。
要するに蛇行することで悪い状況を引き起こすのだ。
それぞれに良かれと思いやっていることが、今、ここに居る、自分だけの都合でやっていることで狂ってくる。
ある意味、神近き力を与えられたのに、動物たちでは出来ないような悪を行う事になったりもする。
どうやら、そのような魂たちは、死後、反省を迫られる地獄という世界に行く場合とか、生まれ変わって、再度同じような状況の中で悪を成さないで済むかどうかを試されたり、転生輪廻の過程でもう一度動物からやり直しを迫られる場合も有るようだ。
このウクライナ紛争での人々の反応を見ても、
人間としての長所が逆に短所として働いているように見える。
思いの加工が、優しさに過ぎて同情し、その現状を解決さえできれば良いという判断に向かう。
その原因になっている思いと行いを見ずに結果だけを求めようとする。
ある意味、動物的な反応から抜け出すことが出来ないで
羊飼いに飼いならされた羊たちのように思い通りに動かされる。
その羊飼いの中に悪が忍び込んでいることに気づかずに
崖に追い込まれ谷底へと落とされようとしているようにも見える。
アメリカ大統領の先の選挙にしろ、コロナの対応にせよ
このウクライナ紛争にしろ、悪魔に乗っ取られた羊飼いたちが跋扈しているとしか見えないのだ。
悪魔とは、何かというと、結果にこだわり過ぎ、
神なる存在を認めない為に、自己中となっている存在の中で頭の良い連中だろう。
要するに、左脳的な所であるハウツーに長けてはいるが、動物的であり、
結果にこだわり、神に成り代わろうとしている存在たちだ。
悪い指導者を国民が選出したならば、その結果は悲惨な所に向かうだろう。
しかし、それも仕方が無いことかもしれない。
一般大衆の価値観が、結果主義となり、自己中となり
悪霊、悪魔たちと導通するような心境(思い・世界観)になって
神の言葉を伝える人たちの声に耳を貸そうとしない以上、どうしようもない。
破滅的な状況が繰り返し起きて、そこから教訓を学ぶ人が増えない限り、どうしようも無いのかもしれない。
色んな予言者が未来予言をしているが、その悲惨な未来に至ってどれだけの魂たちが反省することが出来るだろうか。
その原因を見出すことが出来るだろうか。
この神の創造された世界は、素晴らしくもあるが、厳しくもある。
その厳しさの中で、私たちの魂は鍛えられているのだろう。