陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-04

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思うということ

粘土に向かいカップを作ろうとするとき
まずは、作りたいと思う事から始まる


そして、イメージを描く
頭の中か、心の中か
紙の上に描くこともある

そのイメージの中身は
ある意味、単純であり
ある意味、複雑でもある

粘土の量を決めロクロの上に粘土を載せる
手水をつけ土を伸ばし始めるが
ロクロを回しながら形が変わっていく場合も有る

手の中で粘土が形を変えながら動いていく姿を見て
ある刺激が降ろされて思わぬ形に変化もする
頭の中か、心の中かの映像に変化が加えられて行く

創作という作業は面白いものであり
全ての創造に関することをイメージしても、非常に面白い

この宇宙も人間も創造主が有ってのことだと理解しているけれど
ただ一人としての創造主があって
全てを作り出しているのではないとも理解している

宇宙人が創造主でもない
人間自身が思いの力で顔もスタイルも変えられるように
人間自身が創り出しているモノも有るだろう

コロナウイルスのように
遺伝子という設計図を変えることで新型を創り出せる
人種別に効果の違うウイルスも創り出せる

思いによっては、被害が出ることを知りながらバラマクことも出来る

思うという事
その不思議さは、創作者にとってまことに不可思議だ

計り知れないものを感じる反面
思えないことは創造できないという不思議さを同時に感じるのだ

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備前焼