陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-02

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リベラル・左翼は、うつ病傾向

右翼・全体主義・独裁主義は、そう病傾向

そううつ病というのがあるが
これは特別なものでは無い 


人の心は、揺らぎを起こしている
揺らぎを起こすことでバランスをとっているのだが
その度合いが大きすぎたり、揺らぎを起こさず停滞したりして問題が起きる

そううつ病とは、すべての事象に現れる現象で
良い子、悪い子、普通の子という状況が起きるというだけのことだ

普通の子と良い子の間を移行すれば良いのだが
現代社会は、世界的に、悪い子になる傾向がある

画像の説明

陰陽の両視点が必要なのだ

陰陽で見るとは
心配性とおめでたさだ
臆病さとワガママさでもある

心配する気持ちが強く
大雑把におめでたく見る感覚が弱くなって
正しく見ることが出来なくなって蛇行する

気候変動対策に対することも
ワクチン接種信仰もそうだ
うつ状態のまま推移して
その反対のそう状態で見ようとしない
片目で見る事の弊害が出ている

フェイスブックやグーグルなどでもそうだが
反ワクチンの意見や
二酸化炭素が地球温暖化の原因ではないとする意見を排除しようとする

科学的根拠、科学的証拠もないのに
一部の科学者と称する人たちの意見ばかりが独走する

うつ状態で考えた認識が市民権を得ると
それを根拠に、揺り返しが起こり、そう状態になる
反対意見を攻撃し、消しにかかるのだ

少数の科学者の反対の意見が抹消されてしまう
ここでも多数決の論理が働くことになる

何事でもそうだが、多数意見が必ずしも正しいとは言えない

このような科学的意見だけでなく
政治的意見も同じことだ

結局、政治的判断も科学的判断も同じで
今という時代は、末法の時代と言っても良いのだが
本当の意味での信仰心が無くなっているために
蛇行しやすくなっているのだ

基準である、神仏の視点が無くなっているために起こっている
基本とする軸が無くなっているために
正しさから遠ざかっても、それに気が付かなくなっている

「信仰心」という事の重要性を感じざるを得ない

神仏の善悪の判断を意識しないで、中道を求めることは出来ないのだ
正しさも、それ自体が揺らぎを起こしていくので

常に「正しき心の探求」をしていなければ狂ってくる

自己の正しさばかりを中心にしていると
間違っていることに気づくことはない

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