陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-09-24

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思想の原点

人には、いろんな考え方が有り
それが個性の基にもなっている

ただ、個性の違いといっても
創造主から観て許容できない部分も出てくる
普通の子や良い子なら良いけれど、悪い子なら問題がある
それも、修正しにくいほどの悪い子になると隔離する必要も出てくる

要するに地獄という隔離場所であり
現代社会の監獄のようなものだ

ただ、現実の監獄でも一つの社会が出来ているように
その収容人員が多くなりすぎると大きな勢力になる場合もあるだろう
監獄内から一般社会に影響力を及ぼすようなことも有るだろう


フラクタル的に観るならば

あの世にも、この世にも、同じような形があるのかもしれない
仮の世であるこの3次元世界にも、あの世の映像が映し出されているとするなら
本来の世界である、あの世に原型が有るということになる

そもそも、始原の神がこの宇宙を創り
多くの魂を創造した時点から
このことは想定されていたのだろう

未成熟な魂たちを育てる中には
当然ながら良い子、悪るい子、普通の子が出来る
全て完ぺきによい子ばかりが出来るのであれば、
おそらく、魂の創造はされなかっただろう

私たちの子育てでも色んなドラマがある
創造主も同じようなドラマを喜ばれているのだろう

色んな苦しみ、悲しみも味わうけれど
色んな四苦八苦から学ぶことで
魂が成長していくことは
自分自身が経験してきた人生ドラマを見ても
そこには、大きな喜びが隠されている

その成長のドラマを見ながら神は喜ばれているのだろう

ただ、悪い魂群が出来る原因は
フラクタルの森の図票を見ればよく分かる

基本
主体が大きくなりすぎて
自分が、自分がという我の視点が強くなりすぎると
本来、創造主、神と一体であったものが別の物となりすぎて
上空からの神の光が射さなくなってくる

その自分というものが膨張するのは、これは、がん細胞と同じ原理であり
そのようになってしまう始まりは、次の図の
見えやすい、分かり易い「行い」の部分ばかりをみてしまう事も加わり
更に我を膨らませてしまう事だ

仕事

これは、明らかに未成熟の結果であり
成長過程の寄り道でもあるだろう
ただ、この「だれが」が「自分我」になり
強引に結果ばかりを求めるなら、意外とこの考え方は強いのだ
結果が生まれる原因を自分で作らずに
結果ばかりを求めるなら他者から巧妙に奪う方法も生まれ
簡単に大きな結果を奪う事も可能だからだ

犯罪集団が監獄内にいる首領の指示を受けて
社会の中で強硬的に犯罪行為を繰り返すことが出来るなら、
その力を増していくことは簡単だ

その犯罪を許してしまうような社会に現代社会は落ちぶれてしまっている

その原因は、はっきりしている
上の図の「世界」と「思い」の部分を蔑ろにする社会を作ってしまったこと
簡単に言うならば「なぜ」を繰り返さず
分かった気になって結果ばかりを追い求める社会を作ってしまったこと

もっと簡単に言うならば、死ねば終わりだと考えて
生きているうちに結果を出さなければ意味が無いような考えをまん延させたことだ

そういう世界だと、アメやムチが効果的に効く
中国や北朝鮮という国では
この監獄の中にいる悪い連中が外の社会を支配して牛耳るまでになってしまっている

通常社会での常識は通用しないで
結果を出すためには、どんな手をも使うという犯罪集団になっているのだ
当たり前の良識ある判断を求めてもムリなのだ

この力に対抗するには、当然ながら、相手に負けない強硬な力が要る

監獄内の勢力の力が増してきて
警察力や軍隊の中までその支配力の手が伸びてしまっている以上
それに対抗するための強力な力が要るという事だ

もちろんのことながら、それと同時にやるべきことがある

この悪い子の原点になっている考え方に歯止めをかけることだ

私たちは、本来、神の子であり、永遠の転生輪廻の中で魂の成長を願われている存在だという事
この真理を知ることだ



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