陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-08-29

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神とは、何か

トーラスという考え方がある
詳しいことは分からないが、この循環のように一体としてすべてが
神の一部として存在し循環しているのかもしれない


人間を神の子、仏の子として見る観方もある
人は、生き物を食してエネルギーを得ている
仏教では、食べ物は自分自身を食べているに等しいような考え方もある

神を考える時
フラクタル的に考えるなら
全宇宙が神の体であり、神そのものでもあるのかもしれない

私たちの体の中には、様々な細胞があり、いろんな機能をはたしている
色んな微生物も生きており、共にこの体を支えている

私たち人類の存在も、この微生物たちと同じかもしれない
細胞の一つ一つが宇宙に散らばる星々なのかもしれない

色んな星雲があり渦を巻いているが、人間の内臓や筋肉などのパーツのように
神の体の中でのいろんな諸機関の役目があるのかもしれない

私たちの心の中にも不思議なものが有る
プログラミングソフトともいえるのだろうが

一番わかりやすいのが「本能」というソフト
そして、勉強や様々な経験を積み重ねていくと「ファイル」が蓄積されていく
そのファイルの中には、どうやら前世の記憶のファイルも有るようだ
生まれ持った才能という不思議なファイルもある

この本能という「オペレーションシステム」の中には
生存の為や、生殖の為に用意されているものもある
肉体の部品が正常に働くように一緒に用意されているものが有るのだ

その「本能」の中を深く観ていくなら、見えてくるものが有る
本能を超えた根源的な本能といってもいいのだろう

悟性・感性と言ってもいいのだろうが
「信仰」の本能だ

おそらく、根源なる神と直結しているのかもしれないものだ
人体の中に張り巡らされている神経のようなものなのかもしれないが
全てが、根源なる神、宇宙存在の大元につながっているために認識できるもの

神性、仏性といわれるものが、心の奥には有る

深く深く、正しき心の探求をしていくならボンヤリとでも見えてくるモノがある

「人を呪わば、穴二つ」ということわざが有るけれど
幸福の科学のお経の中に「自他は、別個にあらず、一体なり」というのがある
要するに、同じ神の体の隣接している一部であり
他者を呪い、他者を抹殺するは、自分自身を殺すことに似ているのだろう

神(創造主)が何故この宇宙を創り、人間を創り、様々な使命を創られたのか分からないけれど

私たちの心の奥にあるモノを見ようとすれば見えてくるようだ
深く瞑想し、無心になることで、その創造の秘密も見えてきそうである
神と一体となり根源の意思とのつながりを深くすることで見えてくるようだ

親が、子や孫に願う事
永遠の転生輪廻の中で、ファイル(経験)を積み重ね
より素晴らしい存在となって欲しい事
その不思議な感動の為にこの宇宙を創られたのだろう

それに対して、さらなる『なぜ』という問いかけも有るが
素直にその感動を共に味わいたいと思う

ただ、神の感じられる感動には何があるのか
根源の神がこの宇宙を創られた時の思いが法話として残っている
「進歩せよ、されど、調和せよ」
この理念が自己展開しながら、この宇宙を創っているのだろう

進歩を願う気持ちが強すぎると
この宇宙にはレプタリアンという種族もいるようだが
人間をも食してしまう存在たちも居て、停滞を許さない人たちもいるようだ
厳しい側面を持つ存在と
もう一方には、調和を重視する優しい人たちだ
ただ、この優しさも過ぎると愚かになり、創造主の願いから離れてしまう

この、進歩がタテ軸(陽)であり
調和がヨコ軸(陰)であり、布がこの二つで織られているように
より良いタテ糸、より良いヨコ糸が求められているのだろう 



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