陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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フラクタル陰陽学と陶芸

フラクタルの森で陶芸をする意味について考えてみます

基本というか、入り口には次のような図があります

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論理的に考えるなら、5w2hで考える必要が有りますが
ただ、そこまで考えなくても、単に土ひねりを楽しめば良いという考えも有ります


ここでの大切なポイントは、イメージの中の設計図によって作品は出来てきます
完成品にたどり着くために手を動かして形を作り窯に入れて焼かなければなりません
勉強でも仕事でも人生でも共通しているのが
思い(イメージ)が行いによって具体化されて結果が出てくるという事
これが陰と陽の関係であり原因と結果の法則であり、因果の法則、縁起といわれるものです

なぜ、同じ粘土を使い、作られた作品に違いが出るのか
同じ作り方で同じような器を作っても個性がでてきます
それは、思い(イメージ・設計図)と行い(具体化)に違いが有るからです

勉強でも仕事でも人生でも同じで
積極的な思いで取り組んでいくのと、消極的な思いで取り組むのでは結果に違いが出てきます

行い(具体化)も大事なのですが、それを引っ張っていく原動力は何かというと
それは、思い(イメージ・設計図)だということ

陶芸で言うなら、思い(イメージ図)を変えれば、簡単に出来上がりの形は違ってきます
ただ、この思いの中には複雑なものが有ります
義務感だけでやらされている感じで取り組んでいると楽しくありません
作っていて思い通りにいかなかった時、投げやりになってしまうと楽しくありません
うまくいかなくても、努力して一生懸命に努力していると何とかなって楽しくなってきます

勉強も仕事も人生も、順調に行くわけではありませんが
「自助努力」の精神で小さな壁を破っていくことを続けていると面白くなってきます
楽しんでやっていると結果もついてきます

多くの問題が含んでいることに、結果主義ということが有ります
それは、思い(イメージ・設計図)の中に結果ばかりを入れてしまうことです
行い(具体化・結果)を入れてしまうと
陶芸でも、出来上がりの見た目を気にしすぎて、人の評価を気にしすぎると楽しくありません

これが世間でよく言われる、目的と手段を間違えるということです
思いの中に結果を入れすぎていると成果が出てこなくなります

それは、楽しくないからです

スポーツなどの競技でも一緒で
結果にこだわりすぎていると普段の実力が発揮されません

勉強でも成績という結果にばかリこだわり、周囲の評価ばかりを気にしていると勉強そのものが楽しくありません
「好きこそ、ものの上手なれ」ということわざがあったように思うけれど
勉強そのものが楽しくなければ努力する力も弱るでしょう

仕事でも、結果ばかりを考えていると苦しくなってきます
結果を出す方法ばかりを考えていると、本来の仕事の意味からそれてしまいかねません

仕事で関心が有るのは、確かに稼ぎであり利益であり、
人生を支え子供たちに教育を与えるためにも結果としての利潤は大切です
ただ、利潤が生み出される原因を考えてみるなら分かることですが
その仕事の生み出す商品やサービスが多くの人に喜ばれお役に立たなければ収益を上げ続けることは出来ません

しかし、ごまかして儲けにつなげる方法はあるでしょう
もっと極端なことをいうなら、犯罪すれすれのことだってできます
さらに極端を言うなら、一番簡単に結果を出す、稼ぐ方法はというと
他者が稼いで積み上げたものを奪うことです

自分の気持ちをごまかして、結果を出そうとする仕事は世の中にいっぱいあります
IR法など政府がらみで博打を正当化しようという動きも有りますが典型的です

しかし、このような稼ぎ方では、心が楽しくない
結果として、そのお金の使い方も荒れてきます
悪循環が起きて社会を悪いほうに引っ張て行きます
結果として全体の景気を上げることが出来ず経済を悪化させていきます

要するに、陶芸でもなんでもそうですが
この思い(イメージ・設計図)に組み込まれているのは
人としての権利にもつながることですが「楽しむ」「喜ぶ」という要素が詰まっています
もっと抽象的な表現をするなら「愛」に関連するイメージが必ず必要とされるのです

ここが結果主義に侵され始めると愛のイメージが「奪う愛」になってしまう
ここには「与える愛」というイメージが不可欠なのです
結果を得られさえすれば楽しいでは、薄っぺらくて良い循環を生みません
心が本当に喜ぶことをしなければ、すべては無駄になってしまいかねません

「正しき心の探求」をすれば、神様が喜ばれることと
私たちが心底喜ぶことは共通していることが分かります
他者のためにお役に立ち、自分自身の存在価値を実感できなければ嬉しくないのです

その入り口として「楽しむ」必要が有るのです
楽しめなけれが良い結果につながっていかない
苦しくても「道」を楽しむことです
道を楽しんでこそ人生も豊かになってくると思う

「健康」問題でも「思い」(イメージ・設計図)を変えれば
「行い」(具体化・日常生活)も変わって良い方向に向かうことも可能です
具体化の方法は、陶芸でもそうですがびっくりするくらい色々あります
お願いして他者に素晴らしいものを作ってもらう方法も有ります
奇跡としか思えないようなことだって可能です
神様、創造主をも動かすような思いだって有ります

霊的な力の支配している世界、すべての思いは力を持っています
本当は、全て思いが支配している世界なのでしょう

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今、リモートで出来る陶芸体験に参加してくださる方を募集しています
ユーチューブで作り方を説明しようとしていますが、
素人がチャレンジしているサイトなので完成していませんが
興味のある方はメールで申し込んでください
8月の窯で焼ければと思っています
http://furakutaru.com/index.php?%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%80%80%E9%99%B6%E8%8A%B8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%96



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