陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-06-13

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幸福の科学のラッパーは、侮れない

Itaqラップスター
https://www.youtube.com/watch?v=XcXkQPiWdQw

彼がインタビューの中で分かりやすい言葉を教えてくれた


神様の認識に対する質問の答えで分かり易い例えをしてくれた
私も同じ見解なのだが、良いたとえが今まで浮かんでいなかった

多くの人の「神」に対する認識が
何か御利益をくれる者、守ってくれる存在と観て
何か不都合なことが有ると神を信じなくなる
そして、宗教など自分にとって不必要だと観てしまう

宗教や神様という見方に、結果主義的な陽の視点しかなく
その奥に有るモノを観ようとしないところに問題が有るのだが
私は、そのことを指摘するだけで止まっていた

しかし、彼のたとえは面白かった

神様をアスリートとコーチの関係で説明していた
コーチには、時に文句を言いたくなり反発したくもなるが
共に協力してアスリートの向上のために一緒に頑張ってくれている存在

このたとえは素晴らしい

人間には、すべての存在には、守護霊といったコーチが例外なくついている
その守護霊の奥には、指導霊というもう一段優秀なコーチも居て
共同して指導してくれている

さらにその上には、その競技種目だけに関するコーチだけでなく
人生全般から社会全般に関する卓越した認識を背景にした神(コーチ)も居る

もちろん、全存在のこの宇宙における存在意義の認識を含めて指導できるコーチも居るだろう

それらすべてを「神」といってもいいのだろうが
ただコーチの中にも良い子悪い子普通の子がいるように、悪いコーチも居る
神と言えるには、最低でも良いコーチをつけるべきなのだ

唯物論、無神論だとコーチが自分自身になったり
自分にとって都合の良い存在を持ってこようとする
アメやムチを自己都合で使っているようだと
どうしても悪いコーチを選んで本来の専任コーチの首をはねてしまう

これが、悪霊の憑依現象だ
コロナのまん延に歯止めがかからないのも同じ現象だろう
政府や専門家というコーチをメディアを通じて国民が選んでいるのだが
能力のない悪いコーチを選んでいるために不幸が広がっている

良いコーチを選ぶ必要がある
神の心を心として働けるようなコーチが必要なのだ

今、最高のコーチが、下生されてる
そのコーチの言葉に耳を傾ける人が、なぜ、こんなに少ないのだろうか
唯物論、無宗教、無神論が広がり
知ってか知らずか共産主義が世界を覆っているからだろう

ミハエル・エンデの「ネバーエンディングストーリー」の「無が、世界を覆いつ越そうとしている」というのを思い出した



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