陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-06-02

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企業の目的は利潤ではない

利潤は、結果として出てくるもの
目標であって目的ではない
この単純な法則がわかっていないために様々な不都合な現実が起きている


論理的に観るならば、
企業(経済)の目的とは、お役に立つこと(社会貢献)であり
その結果の目標として利潤が有る

画像の説明

結果から入って考えるなら
利潤を上げるためには、提供している商品やサービスが人々のお役に立っことが大前提だ

それがどれだけ実績として達成できたのかを見るのが結果としての利潤
結果さえ出せればよいというような考えでは
ゴマカシで一時、成果を出すことが出来たとしても
その仕事は、拡大再生産されることはない

手段を選ばなければ、結果を出す一番簡単な方法は
蓄積されたところから奪うことになる
詐欺的行為に手を染めることになり
さらに、最悪になれば
極端な犯罪行為に走ることになる

この行為を国家レベルで実践しようとしている国もある

この目的と目標のすり替えが起こる原因は、世界観にある
無宗教と一神教の中でも「拝金教」になっている世界観がそれにあたる
公明党が拝金教になっているのは理解できるだろう
仏教を背景にいているが
宗教を隠れ蓑に犯罪を働いたオウムなども同じだ

その公明党と連立している自民党も同じなのだろう
無宗教から拝金教に流れている
お金とか名誉とか権力とか目に見えやすい上っ面の物ばかりを考えていると
現代の「画皮」の仲間入りだ

上の図で考えてみると「目的」の中に入るべき共通のものが見えてくる
この「思い」の中に「与える愛」の要素が含まれていなければ
何事もプラススパイラルの流れを起こすことは無い

この図でフラクタル的に考えを広げて全体をみると
万象万物の循環の中に同じ要素が入っているだろう
この地球だけにとどまらず宇宙自体を観ても
今、ここに宇宙が存在していることの中に
「愛」の要素が不可欠だ

結果だけを観るのなら
この世の中は弱肉強食の世界に見えるのだろうが
もう一歩踏み込んでみるならば、それぞれが与えあい、支えあっている面が見えてくる

創造主の「愛」の思いが有ってこの宇宙は出来ているのだろう
全体の中に、その愛の質と量の拡大再生産が願われている
その願いに逆らって存続できるものなど無いということだろう



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