陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-06-01

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論語と算盤の本質

先日、NHKの番組で渋沢栄一の「論語と算盤」についての番組が有った
見ていて驚いた
違和感を強く感じてしまった


論語で言うところの「精神性」と「経済」の関係を
どうやら、切り離して別のモノのように見ている感じなのだ

論語と算盤という題名を見ただけで
フラクタル陰陽学的に観ると
まさしく、陰と陽の関係であり不即不離
切り離すことの出来ない法則であり
経済の本質を言ってるのだろうという事がわかる

フラクタル陰陽学的に観ると当たり前の法則なのだ

画像の説明

渋沢栄一氏は、あまりに当たり前のことを言っていたにすぎないのに
NHKでは、特別の認識であるかのように扱っている

精神性(思想宗教)のない政治経済(社会)など価値は無く
獣のような世界なのだという事が分からないようだ

NHKの中にも親中派の人が多いように聞いているが
それと関連して考えて見てもうなずけてしまう現象だ

思想宗教には、大きく分けて4つ有る
無宗教、一神教、多神教、至高神
中国共産党の精神性とは何かというと「無宗教」

無宗教で経済だけを追いかけていると結果主義に陥ってしまう
その結果である「利潤」ばかりを見て行動する強みは有るだろうが
精神性をその利潤ばかりで満たしていくと
なんでも有りの世界が展開してしまう

結局は、やがて、求めている成果を出すことが出来なくなることに気が付かない
どこかの時点で逆スパイラルが起き始め
修復不可能なことになってしまう

「論語」では、死後の世界の事にはあまり触れられていないようだが
「天帝」という言葉が使われているように
神なる存在を意識することなく政治経済を扱うなら国は滅んでしまう

それだけの信用価値をその社会に生み出すことは出来ないのだ

信仰心、宗教心の無い会社や国家がどれだけ危ういものであるのか
そろそろ気が付いても良さそうなのだが
拝金教や悪魔信仰が、宗教の仮面をかぶって暗躍している

その「信用価値」が無くなっている為に
コロナの蔓延を防ぐ事も出来ず
世界経済は、奈落の底に沈もうとしている

結局、論語とは何かというと
次の図の「思い」の所であり・・・・動機、設計図、精神性、イメージ
算盤とは「行い」の所である・・・・実践、具体化、方法論、結果

この陰陽の循環、同時性が無く存在するものなど、この世には無い
全ては、陰と陽で成り立っているのだ

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