陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-05-24

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手段が目的になってしまう事

この目的と手段のはき違えは、このフラクタルの森でのメインテーマでもあり
「美しき誘惑 現代の画皮」の映画で主人公が誘惑に負けてしまう原因はここにある
https://utsukushiki-yuwaku.jp/

全て、間違っていく過程には、この勘違いが有る


図で観ると分かり易い

画像の説明

全てのありとあらゆる循環には、四つの要素が有る

見て・・・思って・・・行って・・・結果が出る
悟性・・・感性 ・・・知性 ・・・理性
(右脳的要素)陰・・・(左脳的要素)陽
       要するに
課題が有り・目的が有り・手段が有り・目標がある

この目的と目標がよく似ている為に起きる勘違い
この勘違いが結果主義となる

目標(結果)が目的(動機)そのものになってしまうために起きる現象だ
目標を達成するための手段が心の中を占めてしまうために起きてしまう現象
その現象が強くなると結果至上主義となり
その結果目標が中心になることで
手段を選ぶことに歯止めがかかりにくくなる

何故かと言うと
その課題が、何であるか悟れていないから
見えにくいために、分かり易い、手段や結果を中心にして考える事になる

その原因は、世界観が間違っている場合が一番多い
これも、見えにくいためであるが
死後の世界を描くことが出来ず
神仏をイメージできなければ
自己を中心として生きるしかない
そして、もう一つは、欲が強すぎる場合だ

宇宙的な視点で言うなら
レプタリアンという傾向性を持っている宇宙存在達だ
左脳的力(陽)を強くし進歩を中心に生きている
当然ながら紛争は多くなる

右脳的力(陰)も強くし調和を意識しなければ
進歩は途中で止まってしまう
この宇宙の創造主の願われている世界では無くなっていくだろう

そもそもが、この課題と目的、悟りと動機
ここの発展こそ求められている為に
この宇宙は存在しているのではないだろうか

この練り上げられた心の素晴らしさこそ神は願われているように思う
私たちが感動し心が打ち震える時を考えても
どうしても、そうとしか思えない

幸福の科学的に言うならば
愛の発展こそが求められている

その証明の為にも知が求められ
反省が必要となり
現実的な繁栄発展(成果)をもたらす必要が有る

愛の発展を証明する必要が有るということだ



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