陶玄郷
いつも酸素吸入器をつけ車いすでの姿しか見たこと無かった 17歳になっていたという 私個人としては、それほどのご縁は無かったけれど 涙があふれるのは やはり、感動的な人生だったからだろう
幸福の科学の家庭に生まれ 多くの人に勇気と希望を与えていた
最近、10歳離れた兄も逝った その感覚との違いは何だったろうか 善人であり良き兄弟ではあったが 兄は無神論、唯物論だった
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