陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-05-02

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真善美

真善美ということに昔から関心が有った
そして、最近、面白い関連性に気が付いた
私だけの考えなので何とも言えないけれど
考え続ける価値はありそうだ


画像の説明
この図の中との関連性だ

真偽     世界 (いつ・どこで・だれが)
善悪     行い (どのようにして・どうなった)
美醜     思い (なにを・なぜ)

「真」
この世界観は、現象世界をどのように観ていかということ
心象世界がどのようであるのかということ
間違った世界観だと後のモノが全て狂ってくるのでとても重要な価値観だ

「善」
起きている結果が、善きものであるかどうか
その結果を導くための方法論の善悪の価値観だ
悪しきものでなければ問題も少ないけれどもっと大切なものは次に有る

「美」
この美醜の判断は、ある意味むつかしいのかもしれない
見えるところの価値観だと比較的簡単なのだろうが
見えにくいところの価値観だと、心の中を見つめる習慣がなければむつかしい
(今度の映画「美しき誘惑 現代の画皮」でみるとわかりやすいだろう)

ここに結果主義的な心情が入るとあまりにも表面的な美醜の価値観しか入ってこない

この善と美の価値観は、循環しつつ回っているので
思いを中心に見るか
行いを中心に見るかで違ってくる

思いは、植物で言うなら「種まき」に当たるのだが
この種まきを、人はややもすると原因行為として行いの中に入れてしまう

善き種をまくという行為で善い果実が実るけれど
肝心なのは、種の中にある設計図(遺伝子)だ
深く物事を見れるかどうかにかかってくる
悟りにかかわることだ

もちろん、その悟りの基本中の基本
世界をどう見るかで狂って来るので
結局は、悟り、悟性の問題になる

現代社会は、世界中が、悟りとは遠くにあるようだ



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