陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-04-25

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お金の本質

お金とは、価値を図るための尺度
お金には、円とかドルとか元とかポンドとかの名前がある
そのお金の価値を数字で表すのだが
その数字にも意味が有る

常に扱いやすい数字になろうとする傾向がある
大きすぎても小さすぎても不便であり調整されていく


その数字で表されている価値が何によって決定されていくのかというと
信用である

三橋貴明氏たちは、お金で表される数字を「債務と債権の記録」と見ているが
その表面的な数字だけを見ていると間違える

お金の数字は、信用度のバロメーターだ
ただ、信用といっても全てに良い子悪い子普通の子があるように
ろくでもない信用もある

信用価値を与えている存在が居る
経済人であり庶民であり、多くの人の思い込みでその信用は担保されている

信用といっても、思い込みであり、暗示にかけられている面もある
この「信用」という言葉の意味を立体的に見ることが出来なければ
とても恐ろしい事態に直面することになる

世の中に詐欺師たちが横行するように
だましの要素が常に付きまとう
その価値を見誤ると、そこまで信用があったものが急落することがある
いろんなことを例に出して「信用」を考えると分かることだが
信用がある状態と
信用がなくなった状態との格差は比べようもない

MMTでインフレ率を歯止めに見ながら
どんどん紙幣を刷ってもだいじょうぶだから財政出動で市民生活を支えるべきだとしているが

インフレ率でこの「信用」という魔力を持ったものを図ることは不可能だ

この信用価値は、すべての物やサービスに付帯する
そして、その信用価値を与えている人たちにも同じく信用価値がある

現実社会で信用があるとされている、政治家や知識人や経済人
その人たちの信用価値がろくでもなければいつ何時その信用は崩れてしまうかもしれないのだ

普通の信用が、悪い信用だったかもしれない可能性がある
そう思い込まされていただけの信用なのかもしれない
そんな信用価値のない人たちが与えていたお金やモノや制度
あらゆるものに、本当は信用価値などなかった場合
崩れ去るときの破壊力は甚大なものがあるだろう

その信用価値自体の信用を考える必要がある
最高の信用価値を持った存在を基準に考えないと大きく蛇行しかねないのだ

最大最強最善の信用を担保する存在とは、神仏
要するに「真理価値」を含まない信用は、霞のごときものだと理解しておくべきだ

真理価値を含んだものは、永遠に消えることはない
今、価値があるとされている金とかダイヤモンドですら
真理価値からみるとどれほどの価値が有るかわからない

真理価値を含んだ価値、神仏から評価される価値は、創造主からの評価は
この宇宙全体に及ぶ価値でもあるのかもしれない
神に評価され、神々を感動させるような価値は、
どれほど小さなものであっても
無限大に広がっていく信用価値なのだろう



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