陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-04-24

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陶芸とイメージと社会

宇宙は、全てが陰と陽の要素で成り立っているという(フラクタル)

世界(宇宙)を科学的に見ようとすれば、
必要なのが論理性と客観性(客観的事実)・・・タテ軸とヨコ軸
客観的事実とは真実でもあり、真実を見極めるのは難しいが、
下の図の、なぜ(思い)の部分を注視すれば真実の世界(愛)が見えてくる

そして、世界は【いつ(時間)どこで(空間)だれが(人間)】の中に浮かび、
この世界観(宗教観)が思いと行いに大きく影響を与える

何であれ皆が関心が強いのは「どうしたい(結果」の所であり、
悪い結果、求めている結果が出てこないなら、どこかに間違いがある
世界観(宗教観)に間違いがあると、
思い(イメージ)に不具合を起こし結果をダメにする
 
  
  
この図は、陶芸体験の時に使ったもので
世界は、フラクタルであり
土ひねりという単純な作業の中にもすべてに通じる論理的法則性を感じてもらえたらと思い作ったものだ

作品の作り方だけでなく、心の態度が大切であり
ここに、姿形のイメージだけでなく、
明るく積極的でひたむきな心のイメージが大切な事を理解してもらえたら
陶芸体験の意味もあり、価値もある

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今一度、論理的に様々な事を見て考えても
現代社会は、なぜ(思い)の所が希薄になっていることを感じる

なぜとは、動機であり、信念であり、心の中の問題
この心に霧にかかっていると
どんなに頭脳明晰で優秀な方も狂ってくるようだ

心身症として色んな症例が出て来るが
ウツにしても引き込もりにしても
ここの希薄さ故に、明確なかじ取りが出来ずに暗礁に載り上げる

イメージが固まらず
固まらないまま、様々な行動をするために蛇行して苦しくなる

また、結果ばかりにこだわると
思い(イメージ)の中に結果ばかりをイメージすることになる

思い(イメージ)と言っても、本当は複雑な要素を含んでおり
結果のイメージだけを強くすると
思い通りに成らなくて苦しくなる

思い(イメージ)とは、結果を生み出す原因であり
結果を出すための様々なイメージが含まれていて
その目に見えている姿の奥に、その結果を生み出す要件が有るのだ

原因とは、種でもある
種に含まれている設計図でもある
あんな小さな種の中においしい野菜や果実を実らせえる情報が含まれている
遺伝子情報でもあるが、その遺伝子であっても「なぜ」存在するのか考えると
とても深遠な世界が垣間見えてくる

世界観、宗教観の狭くてちっぽけな人たちは、どうしてもそれらを無視してしまいがちなのだ

この種、遺伝子の中に、誰が、何故、そのような情報を組み込んだのか
それを考えるなら、創造主であったり神仏の存在を考えざるを得なくなるのだが

ここを無視する人たちは、結果主義に走ることになり
色んな害悪を世界に広げる事になる

要するに「なぜ」を無視するからだ

「なぜ」を繰り返して考え、深く考えていくなら
幸福の科学の教えである「与える愛」の学びが真実であり、真理であることが明確に見えてくる

そして、世界が、宇宙が、神の愛によって生み出されていることが想像できるようになる



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