陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-03-23

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間違った認識の招く世界

画像の説明
これほどの意見の違いが何故起きるのか?
そして、そう言った中でも常識が出来上がる


常識とは、大多数の人々の認識が固まっている状況だろうが
ただ、その常識がまちがっている場合も多い
多数決で常識が決まっていくことの問題には
政府やメディアの責任は多く
意図的に恣意的に一つの方向に向けていく事も可能だ

繰り返し報道されて繰り返し耳や目に入り、そして、口に出してその事を話していると
強度の催眠効果が有る
その因果関係も知らないのに信じ込んでしまう
理屈は横においてその事を正しいとして認識してしまうのだ

私自身も日本軍のことも放射線のことも地球温暖化のことも
詳しいことは知らずに右側に書かれている事を信じているのだ
左側の認識の人も同じ事だ

その、ある意味洗脳から抜け出すためには
何故だろう何故かしらという問いかけが必要なのに
ひとは、どうしても、自分の好みや都合などで一つの方向で固めてしまいがちだ

そのために、より優しくて、より安全で、より安心な意見の方に傾いてしまう
そう言ったことも含めて考え
反対意見も想定して考える必要が有る

あの世が有るか無いかなども
昔は、有るが常識だったはずだけれど
今は、逆転しているようだ

その理由に、死後の世界に対する恐怖もあるのだろう
死ねば全てが消えてしまう方が都合が良いという思いもあるだろう
科学信仰を持っている人は、迷信で片付けることもあるだろう

たしかに、死後の世界、霊界があることの証明もできないが
無い事を証明することもできない
いろんな情報を見ながら推察するしか無いけれど
そうすることだけでも、無いということはないだろうとなるはずなのに

死後の世界など無いと信じている人たちが多い事に驚いてしまう

わたしは、昔、だいぶん記憶は薄らいでしまったが
自己催眠に興味が有って色々やっていた時期が有った

そんな時のユリゲラーブームがあり超能力にも興味を持った
この二つの相乗効果でゲーム的なものだったけれど念力とか透視力とか
現実にできる事を確認していた時期が有った

ところが、時間が経って
生きていく事に忙しく常識の中で埋没していくと忘れている自分がいる

記憶には有るのだが、本当にあった事だろうかと疑ってしまう
自分自身の経験でもそうなのだから
はっきりと体験した事がなければ無理なのはうなずける

実際に見て体験した事でも
人は、信じる事ができず何かの間違いのように思う事もある

若い頃UFOを見た経験が有るのにUFOの存在を認めない人もいた
私と同年代の会計士の先生だが
高校時代、バイクで山をドライブしていた時に
上空に電車のような形をしたものが浮かんでいるのを目撃したという

私がくどく霊的なこととか話す中で、UFOのことに話を向けた時に言われたのだが
怖くてなのか、信じる事もできなくてなのか、今まで誰にも話していなかったようなのだ
もちろん、彼は、あの世のことも信じてはいない

結局、みんな、催眠術にかけられ、自分自身でも自分や他人にかけながら生きている

良い方向に、正しい方向に向かえるように考え努力する必要があるのだが

地球温暖化問題での脱炭素社会の実現などでも
その間違った認識が常識となっていることで
人類の未来を破壊していく事になると信じている私にとっては、
とても許すことのできない間違いだと思っている



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