陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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信用貨幣論と商品貨幣論

今日、作品の検査修正をしながら、このサイトを見つけて三橋貴明氏の限界が見えてきた
何かが足りないのだ
https://www.youtube.com/watch?v=m77hKh4Un9o

何がどう間違っているのか考えるのがとても面白いが
説得するのは難しいだろう


三橋貴明氏の間違いは、目に見えないモノに対する掘り込みが足りないということ
私は、感覚的にそのように捉えている

ここでは、表券主義の事と、物質主義の事が語られている
私から見ると、どちらも、目に見えているモノで考えているだけだと思えるのだが

信用貨幣論は〇と見て、商品貨幣論を×と見ていて
MMTは、信用貨幣論だとして
物々交換に関する貨幣論を否定しているようだが、何かが矛盾している

彼は、元々、「信用」という曖昧な言葉は使いたく無いそうだ

岡山市で講演が有り質問した時に、
ネット上で信用という言葉をあまり使いたくないと言われていたので
それは何故ですかと聞くと、あいまいな言葉だからと言われ
「お金とは、信用を背景にした道具だと思う」と言えただけで、逆に
信用とは何か説明できますかと切り返され
説明しようとしたところで、流ちょうにしゃべれなかったせいなのか
途中で切られてしまった

「信用」という言葉を使おうと思えば、全てと関連することだと思うので
曖昧と言えば曖昧な言葉だろうが、ここを無視していては
フラクタルの森の基本である陰陽の陰の要素に目をつぶることになる

「信用」と「価値」という言葉とは、ごく近くに有り
陰と陽の関係であり、この社会に存在する全てに関わる内容だ

画像の説明

氏は、債務者のあかしと数字が記されているモノが貨幣だという
信用貨幣論では、なんでもその条件を満たせていて、信用が付帯すれば貨幣として通用する
もちろん、人間国宝の人が備前焼の作品に数字を書いてサインをすれば貨幣になるという事ではある
皆の価値(信用)観が共通ならば可能な事だが
現実には無理な話だ

世界の通貨の信用を担保してくれているのは、国家であり政府
戦乱が続いたりして国家体制が大きく崩れやすかった時代には、国や政府にも信用が無かった

政府や国家が絶えず変化する場合は、藩札とかの紙幣通貨が信用されず
金や銀などの鉱物貨幣が主流だった
紙幣が流通するにしても兌換紙幣というのか、金などと交換できるとされていたようだ

通貨における信用には何が有るかというと
政府(発行者)の信用
お金の材質の信用
数字の信用
この三つだろう

ただ、だれが発行しても通用するものが有る
金や銀をベースにして数字が描かれていたとしても
その金や銀の取引価格と同じなら問題なく流通するだろう

現代では、通貨の材質は横に追いやられてしまって
偽札などの偽物が出回らなければ、どんな紙幣でも仮想通貨でも通用するが
債務者の信用(価値)と数字の(価値)信用は、切り離せないはずなのに
ビットコインなどの仮想通貨は、どこが発行して信用を担保しているのだろう
悪い信用価値には、暗示という物が入り込むことが有るようだ
信用にも良い子悪い子がある

お金とは、価値(信用)を数字で表すための道具・・・陽
お金とは、政府(国家)の信用を背景にした道具・・・・陰

信用と価値は切り離すことは出来ない

そしてもう一つ絶対に忘れてはいけないのが、信用を付託する存在
どのような人々(質)が、どれだけの人々(量)が信用が置けると考えているか
この質と量を掛け合わせたもので信用のレベルが決まる
そして商品やサービスにも信用価値が有る

「信用」にもレベル差があり、本来、良い事を指すが悪い信用も有る

そのことを考えながら
需要と供給を考えるなら
需要と供給にも信用価値が有り
その仲立ちをする貨幣にも、同じく信用価値が有り
それを数字だけ、量だけで観て「信用」の質まで見ずに計算しているせいなのだろう
インフレ率を見ていさえすれば良いというような判断をしている

インフレ率とは物価上昇率だと思うが、その数字の多いか少ないか
それだけで、社会経済は決まってくるのだろうか
私には、それが理解できないのだ
その信用の中身で未来が決まってくるだろうと思うのだが

信用を考える時、欲にまみれた人々からの信用や
未来を深く考えない人からの信用など朝露ほどの価値もないだろう
しかし、現代社会は、半数以上の人が地獄に落ちているとも言われる
それを証明するかの如く、死んだら終わりだと考えている人があまりにも多い

そのような人たちの信用で支えられている通貨の信用価値は低いだろう
いつ、その貨幣が紙屑レベルの価値にまで落ちていくか
まさに綱渡りだろう

価値を判断するのに、信用の問題を無視することは出来ない
最高の信用を与えてくれる存在は、神であるということ
この事が理解できないとなると
あらゆる判断が狂ってくる

三橋氏は、大きな政府が大切だというし
色んな価値判断が私と違うので、その原因は何だろうと思いながら彼のサイトを続けて勉強させていただいているのだが
結局は、信用という言葉が曖昧な事を好都合として
その信用の質を考えなく思想を構築している為に狂っているようだ

神から見ての善悪を考えようとしないから
大きな政府で多くの人の為に役立たせるためにだけ財政出動を考え
「地獄への道は、善意で舗装されている」ということわざに協力している

おそらく、他のMMT論者も同じでしょう
信用価値を深く見ようとしていない
神からの信用を観ようとしていない

その為に左翼思想の人達、リベラル傾向を持った人たちの利用する道具となっている

もちろん、財政出動をせずに財源のためと欺いて消費税などの増税している政治家たちも地獄に落ちるような人たちが沢山いるようだ

緊縮財政も、お金の使い方が悪い為に出ている結果であり
積極財政も、お金の使い方が悪ければ同じく悪い結果になる
お金の使い方、信用価値が悪ければ、低ければさらに悪化するだろう

本質的な信仰心が無いために、信用の価値レベルが低いのだ
神から見た善悪の判断から遠ざかっているからだ



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