陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-03-09

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死後の世界が無ければ

ようするに、死ねば終わりであるならば、それなりの生き方をする必要がある
死んでも終わりでなく、死後にも何らかの自分を意識できる存在が残るのであるなら
当然だが、それなりの生き方がある


あの世なる世界、霊界が無いのなら
幽霊も無ければ、神なる存在も無い
当然だが、宗教は、気休めでしかない
程度問題だろうが、その宗教に入れ込むとなると問題だ

共産主義では、宗教とは大衆の麻薬であるという
まるで、宗教にのめり込んでいる人たちはシャブ中毒患者だ
そんな麻薬患者たちが政治に参加するのは大問題だ
そんな人たちが多いなら、収容所を作って中毒から救わなければならない
強制収容所で再教育もしなければならない

そこでは、退院後の生活の為にも仕事を与え職業訓練もする必要がある
その仕事は、海外の企業から提供してもらい資金を落としてもらえれて色々と都合が良い

ウイグルでの再教育キャンプは、おそらく、そんな事情で作られているのだろう

そもそも、そんな宗教が多くの資金を集め
政治的、社会的勢力として力を持つことは、許されるべきではない
しかし、宗教を背景に持つ政治団体は世界中に、先進国にも沢山ある

日本には、多くの神社仏閣が、驚くほど沢山ある
葬式などでも、死後の世界で必要になるとしてバカ高い戒名をつけるという
お金に多寡により付けられる戒名にも違いがあると言う

あの世も信じていないような人でも
そんな人ほど世間体を気にしてか、暗示にかかっているようだ
洗脳され多くの金を宗教に巻き上げられている

本当に死後の世界が無いのであれば
これほどの宗教施設は必要では無い
ほとんどを打ち壊さなければならないのだ

この世界観、死んだら終わりが真実なら
生きている間に結果の出せない努力はムダだ
やりたいことを我慢するのも問題がある
苦しければ自殺すれば楽になる
よっぽど腹にすえかねることがあったり
よっぽど執着するような事が有るなら
死を覚悟すれば何でもできる

昔、印象的な事件が有った
ある少年が芸能人の襲撃計画を立て
その思いを遂げる事ができれば死んでも良いと考えた
そこで、両親が邪魔になると考えたのか
その犯行が成功すると残された両親を悲しませると思ったのか
寝ている両親を金属バットで殴り殺した事件が有った

死ねば終わりで神仏も無い世界では、ここまで行くのかと驚いた事件だった
ここまでの愚かさでは無かったとしても
この無神論、見えない世界を無視する唯物論の世界は、さまざまな犯罪の温床になっている

政府が絡んでいる犯罪も同じ事だ

神なる視点など持ちようが無い
忖度という言葉は、神の意思を忖度する意味が原点なのに
違った者たちの気持ちを忖度して、自らの保身を図っている

全人類の親なる立場から見たならば、
日本の制度の中にも、政府レベルでの犯罪行為が沢山ある
政府のそれぞれのトップが、神の如くになり
自分たちの権益を守り伸ばそうとする

そんな世界を、根本神は、許されるわけが無い

もちろん、死後の世界があり、神仏なる存在があるというのが
本当の世界ならでの話だ

悲しむべきことは、
死んだら終わりだろうと思っている人の多さだ
僧侶や宗教従事者でも、そう思っている人たちは沢山いる

この世界観は、どちらでも良いわけでは無い
丁半博打のようなものだ

世界観に間違いが有れば、全てを無意味なものにしてしまう可能性がある

ただ、ここにも陰陽の世界の四つの世界があるようだ
あの世を信じていても
間違いを恐れるあまり何もしようとしなくなる場合もある
無知であり、あの世を信じていなくても
自らの良心に従って神仏から見て成長している魂もあるだろう

変な言い方にはなるが、無神論にも有神論にも
良い子と悪い子が存在する

ただ、本流は、宗教の中、信仰心の中にある
何を主として信じるか
信じた世界に近づいていく



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