陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-01-06

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見えにくい所を見る

とにかく、目に見えにくい所をどれだけ見る事ができるかどうかに
全てのことは関わっている

画像の説明


人は、どうしても結果にこだわる
目の前に見えているもの
耳に入るもの
肌で感じるもの

そして、好きか嫌いか、損か得か
右脳的な判断と左脳的な判断で生きている

この好き嫌い、損得の判断
これらは、感覚的な判断と理知的な判断とも言えるだろうが
どうしても、片方だけでの判断をしがちであり
好き嫌いにしても損得にしても
一旦判断すると好きなら好き、嫌いなら嫌いだけで固まりがちでもある
集中ということで言うならば、それも大切な視点だ

ただ、最初の所で目に見えにくいものを見ない傾向性があるなら本当に危うい

政治も経済もコロナも温暖化も何もかにも
目に見えにくい所を無視していては、良い方向に向いて行くはずがない

この図には無いが
目に見えない究極のものは、神仏の存在
父母なる創造主の存在

私たち自身、それぞれが今生きている背景には
父母の存在があり、愛を注ぎ込まれて来た事が有る

日常の生活にしても
昔に比べるとどれだけ便利になって来たか
その背景には、多くの人々の努力や工夫のおかげであり
それらの仕事に込められた愛の思いがあっての事だ

目に見えにくいものを見ようとすると
「感謝」につながる情景が見えてくる
その感謝の思いが報恩という行為につながり
自らの中にも努力するエネルギーが生まれてくる

目に見えにくいものを人々が見る事ができるようになると良い循環が起きてくるのだ

難しい事かもしれないが
簡単に言うと
常に二つの視点を持ちながら立体的に見る努力だと思う



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