陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-14

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世界観は、狂ってはいませんか?

国家観も貨幣観も狂ってる おぞましき自民党の緊縮派議員たち [三橋TV第324回]
https://www.youtube.com/watch?v=V4EqmWvNjzA&t=5s


多くを学ばせていただいて
ここまで言って良いのかどうか気は引けるのだが
それでも、言っておかなければならないと思う

三橋氏や彼の尊敬する中野剛志氏などは、頭脳明晰ながら
どうしようも無く「愚か」だと思う
おそらく、世界観(宗教観)が唯物論、無神論なのだろう

国家観や貨幣観を言う前に世界を正しく見ているかどうかを考える必要が有る
ここに間違いが有ると全てが違って見えてきます
狂って見えてくるのです

世界が偶然に生まれ、瞬間的な時間を、有限な世界の中で生きている場合と
世界がある願いの元に必然として生まれ、永遠の時間の中を、無限の空間の中で生きている場合と
間違いなく、色んなことに対する考えは違ってきます

一点集中して質問すれば
いつも使っている図での質問になりますが
左側と右側とでは、まったく違わざるを得ないのです

画像の説明

結局は、価値観の問題です
財政緊縮論者にしろ
MMT論者にせよ
世界を見ている価値観に狂いが有ると言っても良いでしょう
双方ともに私がいつも言っている陰と陽の両方の視点が無いのです
その為に蛇行して
財政緊縮論者は、財政均衡を考えすぎ
MMT論者は、財政出動の大切さばかりにこだわります

全ての価値(陽)を支えている陰の要素は、信用です
その信用の中身を考えることなく
表面に出ている数字だけで考えると狂ってきます

その信用の中身には、更に目に見えにくい要素が有り、
そのことを観ようとしなければ狂ってくるのです

画像の説明

結局、信用を担保している要素の究極には神(創造主)からの信用が有るという事
神の子である人間の中にも神と同じ性質が宿り
神が感じる信用度を計るセンサーを戴いていますが
無神論、唯物論では、そのセンサーが死んでしまいます

国家観にせよ、貨幣観にせよ
その価値をどう見てどう判定しているかに関わってきます
そのモノの価値を感じていますか?どのように感じていますか?

吉田松陰の国家観に価値を感じる事が出来ますか?
坂本竜馬の国家観をどう評価できますか?
イエスキリストの愛の教えに価値を感じますか?
聖徳太子が仏教に価値を感じたことをどう評価しますか?
過去の偉人たちの感じた価値観をどのように見ますか?

学校教育で偉人伝を学ばなくなったことで
人々の価値観が、とても薄っぺらなモノになってしまっています
目に見える表面的なモノ
分かり易く理解しやすいモノばかりを見る教育が
どれだけ、人々の本物の価値を見極めるセンサーを鈍感なモノにしてきたのか考えなければなりません

日教組の左翼教育のせいで宗教を無視し
人間の尊厳にかかわる大切な価値観を狂わせてきた
高教育を受けるごとにその暗示は極まりどうしようもないほどになってきた

左脳だけを鍛え、右脳的な所を鍛え忘れた人達が
メディアを支配し、学界を支配し、政治経済を支配するに至って
その本質的な「価値観」の崩れが社会全体に広がり
その背景に有る【信用】がとても薄っぺらなモノになってしまっている

当然ながら、信用が薄くなれば、その価値は薄れていく

全ての存在を確固たるものとして価値あるものとして
復活させるためには、神からの信用が不可欠です

今、まさに神と悪魔勢力との闘いの真っ最中でしょう
最低でも、人々の常識の中に
右側の認識が不可欠です
霊的世界の認識が無ければ、神など存在できないからです
神なき世界は、悪魔にとって好都合です

三橋氏も、その才能で悪魔に手を貸すこと無かれ



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