陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-11-23

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悪魔信仰に取り込まれないために

信仰の本道から離れないためにといった方が良いだろう

昔、幸福の科学に入会を許されて
その集いに参加させていただいている時
私自身、「信仰心」の意味が理解できなかった


さかんに信仰心とは何かと問いかけていた
言葉の意味は知っているが理解できなかった

霊的人生観を知り神仏の存在を信じる事が前提にあってのことで
大川隆法という存在が高貴なる存在であり
その教えに帰依することでも有るが

疑い深いというか
今考えると、自分自身を中心にしての信仰だったからだ
未だ心の修行の出来ていない自分を基準にしていた

しかし、今は、自分流の解釈では有るだろうが
信仰ということに一定の自信を持っている

フラクタル的な考え方だ
神と人間の関係は、親子の関係と似ている
親にも良い親、悪い親、普通の親とがある

もちろん、ここで言う親とは、最善の親だ
その親の気持ちを考えるなら
創造主たる神の願いも見えてくる

親が、子や孫に期待している事を考えるなら
神が、我々人類に期待していることも
なんとなく想像できる

全人類の親である存在が
現実に肉を持たれこの地上で活動されるとすれば
どのような言葉を発せられ
どのような行動を取られるだろうかと考えると
その存在が、本物であるか偽物であるか見えてくる

自分自身が、偽物の自分のままに生きていたとするなら
本物を見つけることはできない
偽物の自分の判断は、本物を近づけないからだ

今、大川隆法という存在が
今という時代に活動している姿を見て
その存在が本物であることは、確信できる

ただ、恥ずかしながら
偽物の自分が表面に出ている時なのだろう
ふとしたタイミングで
幸福の科学に否定的なイメージが頭の隅をよぎるのだ
ほんに一瞬だが頭をかすめる

今まで
会を離れようとした人
会を離れた人を何人か見てきたが
その心理は理解できる

神中心でなく
自分中心に考えている中に
悪なるイメージが忍び込んでくる

ただ、あまりにももったいないことなのだ

私の友人で霊能力も開け交霊会などもしていた者も
一時期、会から引き離されようとした事がある
彼とは定期的に勉強会を開き学んでいたことで危機を逃れる事ができた
私もいろんな場面で助けられたこともある

法友とは有難いものだ



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