陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-11-01

Top / FrontPage / 2020-11-01

ミルトン-フリードマンと三橋貴明氏の意見

政府の財政出動に関する意見の相違だ
フリードマンは、政府支出は国民の負担であり
下手な財政出動は国民に負担を強いることになり景気を良くすることにはならないとする

三橋貴明氏は、政府支出は国民の所得になるとして
積極的な財政出動を推奨する立場であり
大きな政府を容認する


この極端な違いは、MMT理論の見方に有る
自国通貨建ての借金で破綻しハイパーインフレになることは無いが
それは、今、まだ、日本が世界一裕福(一人当たりの個人資産)な国家だからで
インフレ率を財政出動する上限の目安にしていたくらいでは
GDPが世界で取り残され貧困化が加速している現状で
その負のスパイラルを急に止めることは難しいことだ

自国通貨建ての借金が出来なくなる時期が来る
その流れの先には、国家破綻も目の前にやってくる

三橋氏の考え方には悪魔のそそのかしが入っているようだ

結局、肝心な所は「質の問題」だろう

政府であれ個人であれ、お金を使う時はどんな時か
そして、どんな所に使うべきなのかということ
その方向性が問題であり、どうしたいのかという問題だ

政府に任せておけば良い方向でお金を使ってくれるなら良いが
そうはならない可能性の方が強いのだ
失敗を恐れ、どうしても人気取りのマインドが働いて正しい判断はできないだろう

政府が使うお金が経済を成長させる方向に使われるなら
負担されたお金は生きることになり
その政府支出、投資以上の果実をもたらしてくれるが

三橋氏のいう理論ではそうはなり難く人々を甘やかす方向に行く
MMT理論で政府の支出は国民の所得になると言っても
その行為が国全体、国民全体の信用にとってプラスになるかどうかだ
インフレ率を持って加減の目安にすると言っても
その物価上昇率だけでもって信用を測ることはできない

「信用」が無くなれば全ては終わる
国家の信用、国民の信用、通貨の信用
無くなった信用を取り戻すのは難しい

アダムスミスの「神の見えざる手」の考え方を学ぶべきなのに
左翼、リベラル傾向の人たちは「神」を認めず神を知らない以上
神からの信用など考えもしないだろう

フリードマンの意見は、
「財政出動の総額は、課税の総額と一致する」ことであり
政府支出が仕事をしない人にお金を渡す傾向が有り
そのお金を仕事をしている人から集めることになるということだ

その方向は、経済を活性化しないことは明白だ
仕事に努力することなく
政府からもらう事ばかりを歓迎するようになっては成長するはずは無い

神々からの信用を失い
神々からの恩寵も期待できなくなり
悪魔の支配下に置かれてしまう

アメリカの選挙は、まさに
そのハルマゲドンの只中にあるように見える

神を応援する人たちが勝つか
悪魔側を応援する人たちが勝つか
見ものである

今、過半数の人たちが、死後
地獄という暗い世界に行かざるを得ない状況だという
ここで、多数決ばかりだと世界は地獄化していくことになるだろう

神は、人々に自由を与えている
その与えられた自由で地獄を選ぶなら
それも仕方がないのだろう

失敗して奈落の底に沈むのも
魂の経験として必要なことかもしれない



コメント


認証コード(3147)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼