陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-07-23

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一番価値のあるモノ

価値を表現するモノとして「お金」がある
そのお金の力で様々なモノがコントロールされている
就職とか仕事の選択とか
どうしてもその対価としての報酬、所得というモノで左右される


しかし、我が家もそうだけれど
今、手伝いに来ている青年も
あまり所得というモノに執着していないようだ

うちでの仕事も常にある訳では無く
彼の所得は、限られている

彼の本心は正確には分からないけれど
それで良しとして、こちらの都合に答え手伝ってくれる

お金とは便利なモノで無いよりは有った方が良いのは当然だが
お金に換算できない価値も有る

おそらく、そんなものの方が本当は多いようだ

本当に大切なものは目に見えないところに有るとも言われるが
本当に価値あるモノはお金に換算できないのかもしれない

そう考えると
偉人として、イエスキリストや吉田松陰のことを想ってしまう
彼らは同時代の評価や報酬に無頓着どころか
自らの命を犠牲にして未来に光をともされた

そこに喜びが有ったのか
そこに価値を見出していたのか
とても不思議な感じはするけれど
後の世の私たちの心に「感動」を与えてくれている事実が有る

この感動は、お金に換算できないほどの価値を持っているのだろう
その価値は、時代を越え人々を越え広がっても居る
数字に換算できないほどの価値を有しても居るのだろう

現代の社会は、その見えにくい価値を無視して
目に見える
目の前に展開される価値の奴隷となっているようだ

アメとムチが効果を発揮する社会は中国を観ればよく分かる
一党独裁国家はアメとムチの使い方がたくみだ
そのアメとムチに踊らされる人々は、ある意味動物的とも言える

人間を神の子として尊厳の有る存在と見るならば
動物的な所だけで存在しようとしている人々の群れに対して
神は、どのように観ておられるか
想像はつく



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