陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-05-01

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命と魂、どちらが大切なのか?

今、世の中は中国コロナを恐れ命に危機を感じ
外出を避け経済活動を自粛する

このような状況下では仕方がないと思いつつ
時々感じる事がある


あまりにも命を大切にしすぎて魂の尊厳まで棄損する場合がある

そのような人たちの多くが唯物論、無神論の人達だ
その世界観が真実なら当然だ
死ねば終わりである以上
命があっての人生である

しかし、私のように死後の世界、
霊的世界の存在を確信している者にとっては違ってくる

それでも確かに命を大切に思うことには変わりがない
どうしても目先のことで一喜一憂する傾向は有る
それでも
唯物論者の考えとは、違ってくる

命よりも大切なものがその上にあるのだ
それは、心

あの世が有り霊的世界が有るいうことは
神なる存在も在る
転生輪廻を繰り返し
魂の向上のために様々な課題に挑戦しているとするなら
魂が腐って行くことに加担するべきでは無い

唯物論、無神論者のひとたちでも
本当は、その真理を知っている

色んなドラマで感動するシーンがある
自分の命を守るために魂を腐らせるような思いと行動をするならそうはならない
自己保身の思いだけで生きている姿を美しいとは感じないだろう

自らの命を顧みず他者のために命を捧げるようなシーン
自らの命をより高貴なる目的のために捧げようとするする姿に
なぜ、感動を覚えるのか
その事を考えてみる必要がある

魂的には、永遠の命を神からの戴き
魂の成長のために努力し
神近き存在となろうとしているなら

それが、真実なら
この世の命、この世の名声
この世の生きやすさに傾きすぎないことだ

歴史上の偉人と言われる人の多くがそのような生き方をされてきた

イエスキリスト、吉田松陰
彼らは、なぜ自らの命を
何故、短命に終わらせるような事をしたのか

それは、真理を悟っていたからに違いない



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