陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-30

Top / FrontPage / 2020-01-30

国レベルでやっている犯罪  その2

「悟性」の本質は、「お役に立つ」こと
「お役に立つ」こととは、幸福の科学で言われる「与える愛」

フラクタルの森の4つの空間に書いてあるのが

O型・悟性  B型・感性  A型・知性  AB型・理性 

画像の説明

この中でO型の悟性が何を意味するのか分からないという質問が多い

悟性とは、その字のとおり悟りの性質ですが
ただ、O型の人が悟りが高いというう意味ではありません
この悟りが意味するところは
人間の本質とは、何か?という答えでもあります


それが「お役に立ちたい」なのです
O型の人は、ストレートにそれが表面に出ます
その特徴は、損得を度外視して面倒見がよいのです

B型は、感性というフィルターを通してお役に立とうとします
A型は、知性をとおし、
AB型は、感性と知性の二重のフィルターをとおしてお役に立とうとします

「悟性」の本質は、「お役に立つ」こと

この「お役に立ちたい」というインプットされた本能が人間には有るのです
本能として設計されプログラムされて創られた魂です
「与える愛」という基本ソフトが私たちの中には創りこまれています

これは私たち人間だけでなく、全て
万象万物の中に神が込められた理念のようです
その「愛」の循環が
その「奉仕」の心が、循環し重なりあい
自己展開しながらこの宇宙を造り出しているようにも見えます

私たちが一番関心のある
お金とか、人々の評価とか、生き甲斐とか、幸福とか
私たちの存在意義を感じる全てのモノの根本に有ることのようです

「お役立ち」の結果として
人々の感謝につながり、結果として対価を生みお金にもつながります
ただ、現代社会の病巣は、お役立ちという原因を作らずに結果だけは求めようとしたり
そのお役立ちの対象が、自分や自分達だけの所から出れないことです

結果主義であり、自己中心主義です

お役に立つという原因を作る努力よりも結果を出すことに注視するあまり
「与える愛」が基本なのに
知らずに「奪う愛」の状態になってしまい蛇行するのです

「奪う愛」になってしまう理由は、
与えると言いながらその与えられる対象が自分という枠から出ることが出来ないでいるのです
愛が執着となり本来美しいモノで有るはずなのに醜いモノになってしまいます

この結果主義と自己中心主義は、タテ糸とヨコ糸の織り成す布でありながら
その糸の短さから
これが広がりを持つ布にもならないようなものなのです

宇宙は、自と他と全体へという広がりを持っているのですが
その与えたい対象が「自」から出ようとしないのです
これは、ある意味動物性でも有るでしょう

生きものにとって自己を守り育てる本能は大切なのですが
魂の成長と共に世界を広げていく使命が有るようです
神から与えられた使命が有るのです

「他」から「全体」、そして「神」へと広がりを持つ必要が有るのに
「自」から出ることが出来なかった時に
それが、人間社会では犯罪になるのようです

犯罪となる理由は、他者を不幸にしてしまうからです

政府がしようとする仕事にも
与える愛が奪う愛になっている仕事がいっぱいあります

財務省などその典型です
良かれと思い、社会のお役に立とうとして優秀な人たちが仕事をしているのでしょうが
動物的に自分たちの権益を守ることが中心になっているようです

お役立ちの対象が、国家のお役に立とうというのではなく
どうやれば税金をイッパイ集め
自分たちが自由に出来るお金を増やし
自分たちの影響力を強くし
自分たちが評価され
自分たちの給与が上がり
自分たちが天下り出来る組織を作り
莫大な退職金を何度も得たり出来るように
自分たちに結果を求めているのが現状なのでしょう

神々の願いを無視し
国家国民のお役に立つことを無視しています
その事が、消費税増税とか
盗れる所、有る所から盗ろうという税制を作り上げています
自分たちが泥棒や強盗のようになっていることに気が付かないのです

全て、自己が中心にあるからです

● 有る所、取れるところから盗ろうという徴税システム     泥棒
● 累進課税  ネズミ小僧や石川五右衛、これらは義賊ではない 強盗

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼