陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-12-31

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お金の不思議

みんなお金に振り回されている

お金に絡んで、泥棒、詐欺、強盗、贈収賄、色んな犯罪がある
国家や自治体でもお金の為にバクチのような犯罪を合法化しようとする人たちが居る
個人でやれば犯罪だが、国家が法律さえ作ればやれる

なぜ、それまでしてお金を求めるのか
考えて見ると不思議な事だ


お金とは、経済評論家などでMMTとか信用貨幣論とか議論されているが
シンプルに原点を観るならば価値を表現する数字であり
信頼を支えるモノ、欲を満たすモノ、
手段であり、結果でもあり、これにみんなで一喜一憂する

陰陽で観るなら「お金とは、信用を背景にした道具」です
その「信用」という言葉を「評価」というキーワードに置き換えることも出来て
この世の全てが、評価によって成り立っていると言っても良いのかもしれない
この評価も、与えるモノと、受けるモノとが有って成り立つ

昔、オランダでは、チューリップの球根がダイアモンドより価値が有った時代がある
昔、ゴッホの絵は評価されず売れなかった
昔、石油もそれほどの価値は無かった

このように、お金という道具を使っての人々からの評価は、あいまいなモノではある
今、通貨にしろ債権にしろ先物市場にしろその評価をしている人たちは人間だ
人間達の評価と欲を背景にしてお金が動いている
その人間達の評価が問題なのだ
その人たちが評価できるような人たちなのか、そうでは無いのか

イエスキリストを評価できなかっただけでなく、殺した人たちもいる
お釈迦さんの教団を新興宗教として評価せず、さらに信用を無くさせようとした人たちもいる
大川隆法先生の起こされた幸福の科学に対する評価も未だ高まり広がっていない
過去の偉人と言われるような人たちの多くが
その同時代の人たちには評価されず無価値なものとされていた現実がある

いつの時代もそうなのだろう
今という時代も、色んな人権弾圧を繰り返している習近平を国賓で招待するという
犯罪である賭博場をお墨付きを与えて開帳しようとしている

評価の基準が狂っているとしか思えない
企業もマスコミも、それら評価の先に有るお金の運命も
風前の灯火の如きものになっていてもおかしくない

現代社会の評価、その間違った価値が砕け
正しい価値が社会に広がる前触れかもしれない

ゴールデンエイジの到来が言われているが
その為に必要な価値(お金)の破壊が来るのかもしれない
間違えた評価の立て直しが来るのかもしれない



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