陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-11-18

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悪循環と好循環

マイナススパイラルとプラススパイラル

人生でも積み重ねていく内に
普通であるなら次第に見識も深まり
それなりに成長しそれなりの成果を積み重ねていくことが出来る

しかし、その逆を行く人達も居る
悪に手を染めていく者もいて
社会的な立場、信用を無くすような人も居る
せっかく積み上げたモノを自ら崩し
人生に霞をかけていく


同じ事が社会レベル、国家レベルでも起きる
この好循環、悪循環を左右しているモノとは何か

フラクタルの森的に
思い(陰)と行い(陽)で全てが成り立っているという視点で観るならば
現実には、行い(陽)で具体化されるのだが
その前に思い(陰)が有る

思いと行いは、環境の中で成されるので
他者との関係、社会との関係において必ずしもイコールとはならない
思いが悪くても結果として良く働くことも有り
思いが良くても結果として悪く働くことも有る

ただ、どちらにせよ
社会システムなり、何らかの部分でプラスに持っていこうという働きは不可欠だろう

何が言いたいのかというと
何らかの恩寵が無ければプラススパイラルの流れは起きないと言うことだ

画像の説明

社会(世界・宇宙)の中、「思い」(陰)と「行い」(陽)で全ては成り立っている
と、いうことは、やはり、一番重要なことは
「思い」の部分だ

おそらく、神仏からの恩寵が働くか否かは
ここが左右するのだろう

この部分が、今、良い状態とは言えないために災害も重なって起きるのだろう
経済も先行きが危うくなっていくのだろう

政府も国民も
自己の利益の事にしか思いを発することが出来ないために
神仏からの恩寵も受けられず
経済の循環事態も良くなっていかない

国家レベルでネズミ講という犯罪を行い
その犯罪を隠蔽し維持するために税金で補填
それで苦しくなって
有る所、取れる所から盗ろうという
詐欺師や強盗のような税制を作り上げている

さらに、その上に個人レベルでは犯罪である賭博行為だ
その賭博事業をIR法という法律を作り合法化してしまった
税収を得るためだと言うが
その賭博行為は人々が産み出した価値を奪おうとするモノであり
奪われた人にとっても魂の向上を促すモノでは無い
社会に好循環を産み出すモノでは無い

個人レベルでの犯罪は、国家レベルでも悪だろう
その悪徳国家に、神仏はいつまでも目をつむっては居られないだろう

経済の循環を悪くして
景気を悪化させ
国民の所得を減らし
その国民を守るためとして社会保障を充実させようと
更なる増税をせざるを得なくなっている

この発端は、優しさなのかも知れないが
政治家は、バラマキで票を得ようとし
国民は、簡単にそのエサに食いつく

結果主義の思いが結果(果実)を産み出す種を腐らせる
どのように育てようと花も咲く事は無い

その思いの中に、人間としての尊厳は無く
親である神を失望させるに足るモノだろう

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