陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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一泊研修

岡山の渋川にある中国正心館での一泊研修
いろんな気づきもあり、
月に一回は受けると良いのだが、なかなかそういうわけにもいかない

「宗教エリートを目指すための十か条」研修

一言でその内容を説明することは難しいが
10の設問に対してとことん考えさせられるのだ

利自即利他のこと
心を磨くことなど、色々ある
もちろん、神仏のこともある
神を意識しなければ、本当は何事も始まらないのだ

正心法語というお経の中に
「自他は これ 別個に非ず 一体なり
共に 仏子の 兄弟なり」
とある


私はこれを信じている
そのおかげで、時々気づくことが有る

嫌いな人が居なくなっているのだ
もちろん、間違っていると思う人は多い
そもそも唯物論、無神論が間違いなので仕方がないのだが

逆に、そもそもではあるが
唯物論、無神論、無宗教が正しいなら
中国共産党がやっている法輪功やイスラム教、キリスト教に対する姿勢は正当な事になる

左翼的な発想や発言の背景に有る思想が、唯物論であり、無宗教だと
意見を聞けばすぐわかることなので
その人たちを嫌っていてはキリがない

私のすぐ上の姉夫婦も日本共産党員だ

姉たちを嫌ってなんかいない、確かに政治や宗教の話をしようとすると
目の色が変わるので多少苦手意識はある
しかし、私から見れば無宗教も邪教の範疇に入るので
何とか救いたいと思っている

私はなにも幸福の科学に入れなどというつもりは全くない
せめて、死後の世界も在るのかな?
神なる存在も在るのかもしれないな?と思ってほしいだけなのだ

私の話をする姿勢がせっかちなのか
押し付ける感じになるので反発されるのか
反省すべき点は多々ある

研修でも、反省に関わる項目が何点か有るのだが
反省しても反省しても
自分の持っている悪しき傾向性を消し去ることは難しい

何にしても一生続く課題ではあるのだろうが
しかし、なんで、こんなことに時間とお金をかけるのか考えることも有る

なんで、また、こんな風に考えるのだろうと思われるかもしれないが
陰陽両面から見ようとしていると言えば面白いが
へそ曲がりなのかもしれない

それは、
感動が伴うから
色んなことに感動できる感受性が強くなってくるから
創造主、神仏の受け取っておられると思える感動も推測できるから

一人一人の人生も一辺のドラマであり
それが集まって劇場映画なども作られている
大きな映画館でロングランで上映されるようなドラマになるためには
ある種の感動が必要であり、光の集積が必要だ

多くの人生ドラマは、脇役としてかもしれないし
最悪の人生でも幕を下ろすまで、駄作か傑作かは、分からない
しかし、どんな人の人生でも小さな光でも発見できれば素敵なドラマにもなる
小さな光であっても、そこをクローズアップすることが出来れば傑作にも出来る

神々も、おそらく、映画を見るが如く、もしくは、飛び入りするが如くに
その劇中に参加しておられるかもしれないのだ

イエスキリストの人生も、最後は罪人と一緒に処刑されるという結末だ
吉田松陰にしろ、その人生のどこが傑作だったのだろうと思うけれど
何故か、感動なしには観る事が出来ない
涙なしには観る事が出来ない
そのような人は、歴史上の偉人と言われるような人にはとっても多い

偉人には、感動が伴う
歴史上の偉人は男性が多いが、身近に居る偉人は、母親だ
人並な人生であっても母親として生ききったら、それだけで
子供たちにとっては偉人です

そのような、多くの霊的な光を集めることで
霊的に見ると、この宇宙は加速度的に膨張しているのかもしれないのだ

ビッグバン理論から言うと、この宇宙は原初からいえば
加速度的に膨張速度は遅くなるだろうと思われていたが
電波望遠鏡で遠くの宇宙を観測した結果
その逆であることが分かったというニュースを見たことが有る
全ての星々の距離が加速度的に広がっているというのだ



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