陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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小さな自分・普通の自分・大きな自分

ふたつの眼で観る事で現れる立体的な視野

①過去・現在・未来 (時間、縦軸での見方)
②自と他と全体   (空間・横軸での見方)  
③現実・事実・真実     (4次元的霊的見方) 
良い子・悪い子・普通の子 (4次元的霊的見方)

この4つを全て関連させて考えると浮かんでくるのが
④の重要性ではないだろうか


言い方を替えれば神仏から観た善悪であり
神仏の願いであり、この宇宙が創られた根本原因

④良い子・悪い子・普通の子 (4次元的霊的見方)

これを「自分」に置き換えてみます
あらゆる判断を現実的には、それぞれが、自分の中で行います
その判断が、政治や経済に影響を与え未来を創ります

あらゆる物事のスタートは、個人であり
その心、思いと行いによって具体化され固定化され
眼に見える形になって顕れてきます

その「自分」をどこに置いて考えているかです
選挙の公約をみてもどの政党も耳に優しい言葉を並べます
しかし、その公約の中身を観て、この4つの立体的に見た視野を広げてみると
トンデモ無い内容が含まれていることに気づけます

④良い子・悪い子・普通の子 (4次元的霊的見方)
良い自己・悪い自己・普通の自己
小さな自分・普通の自分・大きな自分

の3段階で、その自分を考えると
その自分をどこに置いて考えているかが見えてきます
基本は、皆、自己中です

C 悪い自分   自分さえ良かれとする小さな自分
B 普通の自分  社会の中の     普通の自分      
A 良い自分   神仏の子としての  大きな自分 

この3段階が有ります

政治的な課題としてさまざまなモノが有ります
原発問題、憲法問題、年金問題、最低賃金問題、
皆、様々にそれぞれが正論を述べているのでしょうが
どの立場での意見か考えるならば見えてきます

多くの場合、社会のことを考えての意見では有るのだが
神仏の視点が有りません
これは仕方が無いのかも知れません
無宗教、無神論の人が増えているからです

この神仏の視点の無い人々は、社会の在り方を考えるにしても
自分を観るように他者を観ますから
どうしても、同時にCの小さな自分を投影します

霊的世界を認めない場合、当然ながら死んだら終わりで、
創造主も神仏の存在も在りません

自分と社会の視点でしか見られません
小さな自己の都合が正しさになります

しかし、真実は誰であっても神仏の子であり
神仏と同じ徳性を持っている為に
感動という感性で判断します

その感動の中で一番分かりやすいのが「やさしさ」です
優しくされて嬉しくない人は居ません
そのために社会の規範にも優しさを中心に持ってくるようになり
左翼思想、リベラル傾向を持つようになります
自分を観るように人を観ているからです

信仰心が有るように装っている人でも
本当の意味での信仰が無い場合
小さな自分の都合で信仰を考えている人が多い

今、世界で起こっている宗教同士の争いがそうです

はなから宗教心の無い「無宗教」の人では
小さな自己の中の優しさを足がかりとして
社会的弱者の味方になろうとするのですが
その社会的弱者を観るのに
小さな自分の中、今・ここに生きてる・自分という
時間的にも空間的にも自分と同じ小さな世界の中に押し込めて観るために
分かりやすい砂糖菓子のような優しさを発揮しがちです

そして、自分から観たその正義を振りかざし左翼的運動に入っていくのです

ただ、もっと強度の自己中になると
社会的弱者を利用をすることになります
利用できなければ、弱者切り捨てです
介護の必要な者は存在する意義が無いとして襲撃した若者が居ましたが
その原因は、社会的弱者に対しても神仏の子としての認識が皆無だからです

多くの人は、小さな自分が何とかしてあげなければならないとして頑張ろうとしますが
神仏からの視点が無いために蛇行することになります

優しくありたいという、本来の神仏の子として持っている徳性が
小さな自分の中だけで見ているせいで暴走し、蛇行するのです
神仏の子としての霊性を見ようとしないせいで物のように観てしまう

その魂の真実を観ず、本来の魂の高下を観ることなく
死んだら終わりの単なる物のように観る唯物論になるために
ある時は利用し、ある時は物のように観て、その命や魂をないがしろにしてしまうのです

小さな自分が、自分さえよければ良いと言った
悪魔のレベルまで小さくなると、旧ソ連のように
北朝鮮のように、中国共産党のようになって行きます

そうです、左翼的な考え方の中には
簡単に悪魔達に強力させられる道が待ちかまえている
「地獄への道は、善意で舗装されている」とは、誰が言った言葉か知りませんが
優しさだけの視点では、地獄の世界が待ちかまえています

その根本原因は、くどいけれど
死んだらおしまいで神なる存在など無いとする世界観です

真実は、真理は、
彼岸と此岸、あの世とこの世
心象世界と現象世界を又に掛けて
神の創られた世界の中を
転生輪廻しながら修行しているのが私達だということです

このことが理解できなければ
自分にとって一番大事なモノは、命であり
生きている内に損するか得するかが重要であり
自分自身の感情です
自分の好き嫌い、損得勘定に逆らう他者は、不都合な存在です
命が一番大切としながら、他者の命はないがしろにしてしまいます
生きていくのがイヤになれば自分で死ぬこともアリです

蛇行していくのです

真理として、一番大切なのは、それぞれの魂です
その魂が磨かれ成長していく姿を神は観ておられる
政治経済を観ても神仏の視点、神仏のその願いを忘れない限り
どんなに様々な試練が有ろうとも
どんなに、最悪の自己中達がこの世にのさばり貧者にも富者にも広がり
一時、地獄界が展開したとしても
この宇宙創造の神が、あきらめると言うことは絶対にありえない

様々な機会を創り、我々と共に、それぞれがそれぞれの課題を乗り越えて
素晴らしい宇宙を創ろうとされているのでしょう

この世の中で一番大切なモノ
本質的な意味での「信仰」です



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