陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-07-17

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「信仰心」の有無

信仰心が有るか無いかと聞くと、無いと言う人はいない
しかし、その信仰の対象は様々であり
ご先祖様であったり、色んな神社仏閣で手を合わせていても
その中身も様々であり一律に観ることは難しい


信仰の対象は、基本的には神仏では有るのだろうが
神の存在を信じますかと聞けば、
創造主的なモノを信じている人は少ないようだ

神様という議論をしていると時たま
自分自身が神ではないかという人とも出会う

創価学会の人の信仰の対象は何であるかと聞くと明確に答える人に
私は出会ったことはない
日蓮聖人なのか、池田大作なのか、ハッキリしない

キリスト教系の人達に聞いても
信仰の対象は、イエスなのだろうが
そのイエスとは何であるのかハッキリとしない

それでは、私の属している幸福の科学の信仰とは何だろうかと考えると
大川隆法という人になるのだろうが
私は、不思議だけれど
信仰の対象は、「地球神」だと思っている
抽象的では有るが、全人類、全存在を我が子のように見ている存在である

その存在と大川隆法総裁とが重なって見えているだけなのだ

信仰心とは、考える主体をどこに置いて考えるかでは無いかと思っている
私の信仰は、考える主体を「地球神」に置いて
「自分自身」を主体として考えるだけでなく
時折、その主体を「神」、「地球神」に置いて考えようと努力することでは無いだろうか

考える主体は、色んな段階が有る
基本は、間違いなく「自分」である
その自分の中には、様々なモノが有る

自分と言うミクロの存在からマクロの存在まで
自分という中には有る
小さな自分から大きな自分
自分をスタートとして
家庭・地域社会・国家・惑星・銀河・宇宙・大宇宙と広がりながら
また、自分を細かく見ていけば、そこにも広大な宇宙が有る

私達は、どうしても自分と言う認識の中には狭くて小さなモノが有ることを知っている
今ここにいる自分の視点で、そこを主体として考えがちなのだ

現実的にこの大宇宙は、加速度的に膨張しているという
ビッグバーン理論では、加速度的に膨張は収縮していくことが予想されていたが
事実はその反対に膨張し続けている

私達全ての存在が、実際には大きくなっているようなのだ

選挙の週間であるが
色んな政策をみていると
小さな自分から離れることが出来ずに居る

小さな「自分」に訴えかける政策が多いのだ
小さな「自分」を主体として選ばれる側も選ぶ側も考える

出来るなら、自分の損得から離れ
国家の損得からも離れ
地球全体の事を考える視点
自分と他と、そして地球全体の視点で考える必要が有ると思う

地球神の視点で自分たちも見て
神の願いに沿った国づくりをしなければならないと考える



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