陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-04-14

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現代社会は権利ばかりを言い過ぎだ

人権に関するニュースは多い
確かに人権は大切であるが
陰陽両面を見てこその人権である

人権という表側を支えているのが「義務」
この義務についても表面的なモノしか見ない傾向も有る


人としての権利とは何か?
人が全うすべき義務とは何か?

これらに対する解答は、人間とは何かという悟りとも関わり
人間というモノの見方が違えば狂ったモノになりかねない

人は、神仏の子供であると言う大前提が受け入れることが出来るかどうかだ
神仏の子としての権利を言うのか
神仏の子としての義務を言うのか

それとも
ただ生きている個人としての権利や義務を言うのとは違ってくる
しかも、メディアは、権利ばかりを言う
おそらく義務の見方も納税の義務や法律を守る義務ぐらいだろう

個人の権利ばかりを見る場合と
神仏の子供としての権利や義務を見る場合とでは、大きな違いがある

神仏の権利として見た場合は、隣人も他国の人も同じように神仏の子達なのだ
結局大きな器の中で権利や義務を見ることになる

個人の権利だけで見た場合は、当然ながらいろんな所でぶつかりあう事になるのだ

メディアには、悪気は無いのだろうが
この個人の権利ばかり扱い
しかも、神や仏の視点を加えなければ
当然の如く獣たちの権利の主張になりかねないのだ

自由を標榜するにしても
個人の欲の自由になりかねない
個人ばかりではなく
企業にしても国家にしても弱肉強食の世界になってしまう
グローバル経済、自由貿易と言いつつ
企業の欲の暴走を助けるような事になりかねない

自分の企業の得になることばかりを考えるようになって
国民の本当の幸福を考えることが無い
現代のグローバル経済の間違いは、
この、神仏の視点を忘れた権利の主張に有る

主なる存在が、神では無く、自分や自分の会社になっている

アメリカのトランプは、その点で素晴らしい
とても信仰心が有り
時折、ネットなどで紹介される演説の中に創造主が出てくる
常に神の視点がある中での
アメリカファーストなのだ

そのせいなのか、今、アメリカの経済は好調だ
国家の主権を大切にしつつ自立する姿勢は
EUなども参考にする必要が有るだろう

神仏から見て
人間は、神の子としての尊厳があり
神の子として素晴らしくなる権利が有り
個人も国家も素晴らしく成長し幸福になる義務が有る



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