陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-02-08

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さじ加減と座標軸の変化

色んな認識が有り
それに沿った言動が有り
それに応じた結果が出てくる

その結果には、良好なモノもあり、悪しきモノもある
幸福を産み出すモノもあり
不幸を産み出すモノもある

いじめの問題の中にも
経済の問題の中にも
人生のあらゆる場面でどちらに向かうかの分かれ道がある


今、ニュースで流れている
子供への体罰問題でも
教育と称して殺してしまうような事態もある
このような極端な場合は、また、別の問題も有るが
経済の問題でも
食事の問題でも
あらゆる場面に有る
ブレーキとアクセルの問題でもあるが
考えてみると一つの言葉が浮かんでくる

それが「さじ加減」だ

どういう事かというと
フラクタルの森の陰陽学的見方の中の
全てのモノの中にある「放物曲」を見るということ

備前焼でいうなら
窯焚きでも薪の量の加減が難しいのだ
温度を上げていくのに効率的な薪の量がある
少なくても温度は上がらず
多すぎても温度は上がらない
窯焚きでのその範囲は広いのだが温度を上げていく適量が有り
適量の中でもその放物曲線のどの辺りで焼き上げていくかで
作品の様子も変わってくる

原則、不足すると温度は上がらないが
過ぎても不完全燃焼で温度が上がらない

必ず、相手(客体)があり
相手の状況が有るのだ

アクセルにしろブレーキにしろその適切な加減というものがある
正しさの探求が不可欠なのだ

良いことであっても過ぎれば悪に成ることもある



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備前焼