陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-01-11

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吉備中央町地域づくり団体協議会

街おこし、地域づくりの活動に転換期が来ている
町内には色んな団体が有り
それぞれに街の活性化を模索して活動されているのだが衰退の方向に有るようだ

私達も「大和山野山の会」として活動している
活動は、新年の初日の出のイベントのお世話
岡崎嘉平太記念財団の奨学生の墓参と記念植樹のお世話
そして、大和山ハイキングのお世話であり
その為の草刈りや山の整理などのボランティア活動である


活動の参加者は多くないが
そもそも、なんで前向きに活動できているのか考えると
一番の動機は何かと考えると
基本は、「やりがい」であろう

やりがいにも陰陽が有る
右脳的(陰)なやりがいと      感情的(気分的なモノ・名誉的なモノ)
左脳的(陽)なやりがいである    理性的(利得に関わるモノ・結果につながるモノ)

何で有れ、この二つの要素が満たされなければ
継続して前に進んでいく力は乏しくなってじり貧化する

このような活動は、 感情的(気分的なモノ・名誉的なモノ)が主導をして
この次に 理性的(利得に関わるモノ・結果につながるモノ)などが加わり循環していく

この流れがプラススパイラルを起こしていかなければ難しいことになる
平行線以下であると次第にその状態を維持することも難しくなり
間違いなく衰退していく流れとなる

役場の人達は、この両方が職業として給与に繁栄されるので継続することは難しくはない
しかし、次第に心の満足、感情的(気分的なモノ・名誉的なモノ)は減少するだろう
給料を得ながらそのためだけに働くことはむなしいことだし
ムダな資金を使っていることになる

ボランティア的に活動している人達にもこのプラススパイラルが起こせないとするならばその活動は無駄なものであるのかもしれない
ボランティア団体自体も二つの要素をうまく循環させて
プラススパイラルに持っていく努力が必要だろう

プラススパイラルの流れを作ることが出来なければ
その活動はその社会にとって無意味なモノであるのかもしれないのだ

そのような活動はこの世の中から無くなっても良いと言うことになる
これは、全ての仕事についても言えることだ

この下の図は、頭をヨコに輪切りにして思考を図にしたもの
画像の説明



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