陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-09-19

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税金は、何故必要なのか

税金が、そもそも、何故必要なのかを考えると
基本は負担して頂くことだということに異論をはさむ人はいないだろう

昔から税金は有る
国家の体を成さない状態でも同じようなモノはいつの時代にもどのような社会にもある

国の仕事、社会の受け持つべき仕事はいろいろ有る
産業育成、教育支援などは民間任せでも良いかもしれないが
国防、治安維持、インフラ整備等は、直接負担してもらうわけにも行かない部分が有る


ただ、インフラ整備の中の「高速道路」等は関所を設けたり
自動車税として直接に近い形で集める事が出来る

強引に考えれば、国防も治安維持も必要な人が必要な時に負担するという考え方も有る
軍隊や警察にに守ってもらいたい人は払えばいいし
それを必要としない人は払う必要は無いだろう(沖縄の一部)
救急車も無料では無くて有料にする方法も有る

しかし、窮屈な社会となる可能性も有り現状が良いのかもしれないし
高速道路なども活性化という意味から見れば関所など無くした方が良いだろう

税金で一番重要な考え方は、負担してもらうと言うことだが
一方には、アクセルとブレーキの面が有り主体と客体が有るということだ
誰の何にとってその政策がアクセルとなるのか
誰の何にとってその政策がブレーキになるのか
考える必要がある

だれが  なにを  なぜ  どのようにして  どうしたいのか
悟性   悟性   感性   知性        理性

フラクタルの森的に整理するとこのようになりますが
ここで注目して頂きたいのが「感性」思いの部分が明確で無いことです
「なぜ」の問いかけに対する答えが曖昧になりがちなのです
「なぜ」と言う言葉が全体に関連している為に起きる事のようですが
「なぜ」の本質は「与える愛」に有ります
奪う愛では無いのです

主体が税金を集める側であろうと誰であろうと
「なぜ」の中には社会貢献という理念が不可欠です
国民に対する愛情が必要です
利他の思いが有って初めて良い循環が始まるものなのですが

ややもすると、人は自己中心になります
自己中心で色んな事を考え出しますと色んな不都合なことが起こります
国民に対する愛が無くなっているのです
「国民のため」と称して愛らしき理念を「知性」の所に持ってきているのです
頭でっかちの人の特徴は、こざかしく世の為人の為と語ります
そして、自己の都合を正当化しようとして理論を作ります
最近起こっている財務官僚達の不祥事などもそういうことです

その自己中心に考える中で消費税など税金のことを考えてもらっては
どんな不都合な果実が生まれてくるか分かりません

天下国家に対する愛、国民に対する愛
昔の「修身」から学び直して欲しいものです



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