陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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政府の借金は、すでに消えかかっている

今、日銀が大量に国債を買い入れている状況で
政府の借金はどんどん消えて無くなっている

目に見えている政府の借金は1000兆円を超えているのだろうが
日銀と政府を一体で見れば、消えているのだ
(日本の借金は、円。日銀が発行できる)

図で分かるように、日銀を政府と一体だと見れば
日銀と金融機関の間の取引は、左側の取引と重なることになる

仮に、日本が財政破たんをする場合を想定しても
日銀が政府の国債の償還、買い取りを求めて来た場合だ
期限の来た借金の返済を求めて来た場合だが
政府は、債務不履行、デフォルトするしかない
手を上げるしかないのだ

画像の説明

しかし、日銀にそれは出来ないことだ
それが出来るのであれば、日銀は、自分でお札を刷ることも出来て
政府から元金と共に利息まで取り上げることが出来る
その膨大な資金を日銀は自分のために使う事は出来ないのは当然の理屈なのだ

本来、日銀と政府は一体だが、通貨を自由に歯止めなく供給すれば
当然ながらその通貨は簡単に信用を失う
そのために組織を政府と日銀に分けてごまかしている
というのは言い過ぎにしても歯止めをかけているのだ

結局、政府と日銀の一体なるものが、国債を金融機関と取引して借金をして返済しているわけだが
その借金の信用度が国債の金利の動きに現れることになる
結局、国債はお金とイコールになるということだ

そのお金にしろ債権にしろ通貨と言うことだろうが
その通貨の価値を担保してくれている存在があるということだ
その価値を保証してくれている存在を突き詰めていくと
究極には神意というものと関わってくる
日銀と政府は、実は、様の意見を忖度する必要があるということ事になる


神様というと抽象的になるかもしれないが
信用を担保してくれている最大最強の存在だからだ

通貨の信用を担保してくれているのは市場だ
その市場の人々は、基本、神仏の子である
その神仏の子から見て信用できるのであれば通貨量が増えたとしても
その価値は下がらずに済むだろう

大幅な金融緩和がなされても
円安にもそれほどならず
国債の金利も上がらず、通貨の信用は維持されている
その理由は色々あるのだろう

ただ、金融緩和されて通貨発行量が増えていても
現実には、市場に出ている通貨の量はそれほどには増えていないという
金融機関の国債を日銀が買い取ることで
債権が現金に変わり市場に出せる現金が膨らんでいても
市場に資金需要が少ないために出て行っていないという
使われなければ、数字だけでその価値も生まれない
産まれなければその価値の評価も出来ない

実質はそれほど通貨供給量は増えていないことになる
金融機関からお金が出て行き働いてもらわなければならない
お金も働かなければ意味が無いのだ
金融機関の中に活かされない資金がどれほど増えても何の意味も無い
何でも使われてその価値は生まれてくる

そこで、多くのまともな経済評論家たちが言うように
政府の財政出動が必要になる
民間がバブルの反動で臆病になり
内部資金を貯め込みながら積極的に設備投資が出来ないならば
政府が呼び水としての政策を実施しなければならない

当然、国債を発行したという事はそこで得た資金を政府は何かに使っているのだが
その使い方で、良い呼び水になるか悪い呼び水になるか分かれてくる

要するに、次に有るのが何にどのように使われるかである
政府の財政赤字が膨大に膨らんでいくのは問題だが
日本全体が良い方向に膨らんでいるなら良い循環が生まれる
良い循環が生まれ日本全体の経済規模が増えていけば税収も増えていくと同時に
当然、借金の金額は経済規模に比べて小さな物となっていく

ただ、選挙目当てでのバラマキなどで経済規模を上げられなかったら
国民の民度を下げるような使い方をするならその反動は大きなものが有る
(20数年停滞状況だという事の意味を考えるべきだ)

信用は、民間レベルでも下がり、やがて、神様の信任も失っていく
神様の信任を失うと、民間の信用どころでは無いことを知るべきだろう
自然災害なども許容範囲で起こっていたものが
神々の信任が失われれば、神々の恩寵も無くなる可能性がある
大きな天災も起きるがままになる可能性がある

阪神大震災の時の村山政権、東北大震災のときの菅直人政権
共に無宗教、無神論、唯物論という神様をないがしろにするような人たちだ
神々の守ろうとする気持ちが萎えても仕方がないことだ

昔から言われることだが
天災が続くようなら為政者は政(まつりごと)の態度をただす必要があるということだ

「まつりごと」とは、本来、宗教に関わる
為政者は、神仏の願いに沿った方向に治世を行う必要がある
政治とは、天意に沿って世の中を治める事だ
政教分離が言われるが
本来は、政治経済と思想宗教は一体としてあるものだ

天意に背いて国民の発展、安心安寧は期待できない



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