陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-08-09

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人間は神の子、仏の子?

もちろん比喩で言われている事だが
この言葉は、比喩以上の意味があるのかもしれない

親とこの関係、ご先祖様と子孫の関係
現象的な面だけを観ると
肉の血を介在し、遺伝子を介在して連綿とつながっている
そのつながりの糸をたぐり寄せると一体何が起きるのか

究極まで掘り下げていくとおそらく一点まで回帰することも考えられる


神道の考え方に「万教帰一」という考え方が有るそうだ
全ての神々は、たどっていけば一点に帰一すると言うことのようだ

現象世界の事も、心象世界のことも
考えることに限界を持たなければ、おそらく、一点にたどり着くのかもしれない

その証拠といっても難しいが
生命体全てにおいて種において色んな形態や機能が有るけれど
翻訳というレベルまで広げてみると基本的な形に違いは内容にも見える

人間だけを取ってみても、人種が違えども基本形は同じであり生殖も出来る
心の世界を観ても、文化の違いは有るけれど
人としての特性としてどうやら同じモノが有るようなのだ

ハード部分の「肉体」と
ソフト部分の「魂」と
それらを統御している「心」の部分
それぞれに枝葉を除けば、全く同じような形をしている

どうやら、この形態における見方と
抽象的ながら、それを表現しようとする言語形態と同じに見える

ピラミッドの形である
ハード部分の「肉体」にもソフト部分の「魂」にも原因と結果の陰陽の連鎖が有り4つの面が有る
そして、それらが一点に集められ統御している「心」が頂点に有る

これは経済の事に変換して表現しているが
全てに有る要素のようだ

画像の説明

これを言語形態に並べてみれば
次の図のように3つの要素に分かれてくる

画像の説明

この宇宙の全ての事象を観る時に
このピラミッドの形というモノは大いなる神秘を教えてくれているのかもしれない

このピラミッドが、各個人も表現し
企業も国家も惑星も銀河も表現してくれているのかもしれない

それが、銀河のように渦をまき回転しながら
全体の神の存在自体を
より素晴らしく偉大なモノにしようとしているのかもしれない

私達は、神のピラミッドを構成している
小さな小さなピラミッドで有るのかもしれない



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