陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2018-06-02

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良い財政規律 と 悪い財政規律(緊縮財政・財政の黒字化)

全てによい子悪い子普通の子が有る

30日の夜中、窯焚きが終わった
今回の窯は不思議な窯である
思い通りにならなかったのだ

詳しい説明は避けるが窯の中に入れる空気の量の問題だった
フイゴの理屈で空気を強く入れることで高温が得られるように思いこんでおり
煙突の引きを強くして薪を大量に入れさえすれば温度は上がると考えていた
しかし、空気の通り道のことを考えなければいけなかったようだ
それでもなお単純ではない問題も有る
油田火災などでも消化のために爆薬を使うという方法も有る
ふいごでも空気の流れ込むスピードや量によっては逆になることも有るのだろう
何事も放物曲線を描くとする私の玄明陰陽学からすると
例外は無いはずだ

窯焚きは、もちろんのことながら焚き手の思い通りになれば良いわけでもない
薪の量とかけた時間は今までで一番多い
不安では有るが開けてみるまで分からないのが薪窯での面白さでもある。

緊縮財政(財政の黒字化)に反対する考え方も
私の中では正しいのだが、財政規律を守るべきだとする意見もたくさんあり
政府が取り入れている考え方も前者に有る

私の意見は、藤井聡氏や三橋貴明氏などと同じように後者の方である

2つの意見が有る(陽)という事は、観方考え方(陰)に違いが有るにせよ
どちらの意見にも正当性は有る
整理して考えるなら、善悪やアクセルとブレーキの考え方でもある

どちらをどう選んで実行すれば良いのか
どちらが良い結果に結びつくのか考えなければならない


単純に、政府や高級官僚、御用学者たちをけなしていてもだめだろう

基本的な考え方は次の図の中に有る

画像の説明

緊縮財政に反対する考え方の中に
政府の考え方は家計簿やお小遣い帳であるとする見方が有るが
確かにその通りだ

しかし、その考え方も全否定するべきもので無いことも確かだ

家計簿で言えば、確かに赤字を垂れ流してもいけないし
色んなローンを抱えて返済に苦しむことにも問題が有る

ただ、家のローンや教育のためのローンなどは、払える範囲内で有るならば
その借金は、家族の為、家族の将来のためにはお役に立つことだ

神様を想定しにくければ、裕福な祖父や祖母の立場に立って考えれば良い

もし何かが有って支払いがしにくい事が有れば応援もしてくれるだろう
支払い能力を超えた借金であっても、その資金が家族の為に本当になって
かつ必要不可欠と判断されるようなことであるなら
借金という形でなく、資金援助してくれることはあり得る
現実として、三橋氏の意見の中にも有るが
日本の借金は、明治期に比べて物価上昇を差し引いて考えても
天文学的な数字で増えている
国家国民の為になる借金で有ればなんの問題も無いことの証明でもある

神様とは、最善の祖父や祖母より数段認識力も判断力も有る存在である
不可能なことなど何もないといっても良いのだろう
ただ、甘やかせ堕落させるような事案であるなら
人の親より数段厳しいモノでもあるだろう

人類が滅びる事も放置して見られる可能性もある
もちろんそれまでには様々な警告がされるだろうが
それでもだめなら
天変地異なども含めて積極的に
その文明を終わらせるようなことも有るだろう

過去に、ムー文明やアトランティス文明が経験したといわれるような最後も有るのだろう

結局は、赤字の内容とそこに入るべき私たちの気持ちなのではないだろうか

過去、財政赤字が物価上昇分を差し引いても天文学的な膨張していても
今まで何ら問題が無かっただけならず
バブルがはじけるまでは、日本は世界一裕福になっていたのだ
財政赤字という表面的な数字だけで見てもおかしな話なのだ

バブルとは、泡である
中身が無いのだ
中身とは精神性が無いのだ
感動も無く表面的なものばかり追い求めるようになっている

私流の陰陽的に言うならば
凄さ(陽)ばかりに眼を心を奪われ
素晴らしさ(陰)をないがしろにしてきたのだ

心の修行をおろそかにして
整形とかお化粧とか見えることばかりに力を入れ
見えないところの価値をおろそかにしてきたことが
神仏の信認が離れていく原因なのでしょう

見える部分も大切ですが
見えない部分が無くなればはじけてしまうのです

幸福の科学で教えられている
正しき心の探究」が無ければ意味が無いこと
神のお心がどこに有り、神の願いがいかなるものであるのか考えることなく、
今、ここに居る、自分(達)の正しさだけになってしまっては神のお心は萎えてしまう
心が萎えると、奇跡はそこで止まってしまう
この宇宙の存在や我々の存在が奇跡の連鎖の中に在ることを忘れて居るのです

バブル経済やバブル社会
要するに表面的なモノしか見られない人々が主流となっているようなことは滅びるしかないのだ

この事を書いていると、日大のアメリカンフットボールの事件を思い出してしまう
監督もコーチも悪人ではないのかもしれない
ただ、表面しか見られなかっただけなのでしょう
結果至上主義という上っ面しか見ない傾向が成せた仕事なのでしょう

財政規律を守るべきだとする考え方にも正当性は有るが
この見方をする人たちの意識の中にも同じものが有るようだ

双方に通じる考え方には、理想が無いこと



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