陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-10-26

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私が信じていること

私が信じているのは
人生も陶芸作品も社会も全て
「思い・設計図(陰)と行い・具体化(陽)」で出来ている事。
工業製品だけでなく
生物にもDNAという設計図が有るということは設計者が存在すること。
故に、全て神仏の子であり願いが込められていること。
神仏が存在するということは目に見えない霊的世界があること
人は、その神の子としての本質を忘れ
魂が本体であることを忘れ、肉体の命や財産や他人の評価に執着することで
宗教や政治にも良い子悪い子普通の子があるということ


宗教は、目に見えない世界を扱うために悪い宗教もいつの世にもはびこりますが
良い宗教であるなら、多くの人の魂の向上を願っているはずです
その結果を修行の場であるこの地上世界(此岸)で素晴らしい国造りで示す義務がある

ただ、神々にも民族神や地域にこだわった神々もいるだろうが
やはり、現代のように地球が小さくなっている状況では
全人類をわが子と見ておられるような存在
その地球神に心を合わせる必要が有ると思う

地球神であるなら人類にどのようなメッセージを届けられるだろうかと考え
そのような思いと行いをされている方が
地球神の言葉を伝えている
それが、本当の意味での預言者
救世主だと思う

その成果を形で示すは、われわれ凡夫にある
正しい宗教にある

それに反するは「無宗教」(唯物論・無神論)であり
「一神教」は、宗教を利用して自己の欲求を満たそうとする人たちに忍び寄る
その信じるものがややもすると命や財産などの眼に見えるものに向く
その人たちは、それを与えてくれるものしか神として認めないだろう

このような、神仏、天使や菩薩たちが悲しむような現状が続くようなら
どのようなことが起きてくるか想像するは簡単だろう



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