陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2017-06-23

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この世は仮の姿

もう、亡くなられたが
丹波哲郎さんの認識は私に近いのだろう

どうしても私たちは、今生きているこの姿が現実だと思い
今、ここで、自分が考えていることが事実だと思っている
しかし、この世は、仮の姿だという

本来の世界は、彼岸にあるという

この世のことを「此岸」という
あの世のことを「彼岸」という
あの世とこの世のことを両方認識していなければ
正しく世界を見ている事にはならないようだ。

しかし、どうしても、私たちは、この世を視点に考える

だが、
あの世、彼岸を視点に考えるとどうなるのか
プラトンの考え方に映写機の例えがあったように思うが
映写機のフィルムが変わってくると
映し出される現実の世界も変わってくる

さらに言い換えるならば
設計図を変えると
製品は変わってくる

思いが変われば
世界は変化するしかない



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